天武天皇、持統天皇陵墓 ― 2015年01月20日 12時42分09秒
18日の小和田遺跡発掘現場説明会のあと、出口がかなり離れたところにあり、道に迷ってしまいました。
知っているつもりで歩いたところ、岡寺前駅の方に行ってしまっていました。
人の流れに任せて注意せずに行ってしまい、いくら歩いても天武天皇のお墓が来ないと思っていたら、やっぱり道を取り違えていました。
明日香のボランティアが道ばたに3人ほど立っていたので、「高松塚古墳はどういったらいいのでしょう」と聞くと、誰もはっきり答えてくれませんでした。
ガードマンに聞いても、
「わかりません」
ということで、せめて交通整理するときや、ボランティアで道に立つのであれば、地図くらいは持って、確実にナビゲーションできるようにしてほしい、ともと来た道を引き返すしんどさの中で思いました。
これからは山でなくてもEトレックを持ってこなければと思いました。
知っているつもりで歩いたところ、岡寺前駅の方に行ってしまっていました。
人の流れに任せて注意せずに行ってしまい、いくら歩いても天武天皇のお墓が来ないと思っていたら、やっぱり道を取り違えていました。
明日香のボランティアが道ばたに3人ほど立っていたので、「高松塚古墳はどういったらいいのでしょう」と聞くと、誰もはっきり答えてくれませんでした。
ガードマンに聞いても、
「わかりません」
ということで、せめて交通整理するときや、ボランティアで道に立つのであれば、地図くらいは持って、確実にナビゲーションできるようにしてほしい、ともと来た道を引き返すしんどさの中で思いました。
これからは山でなくてもEトレックを持ってこなければと思いました。
やっともとの道に引き返し、天皇陵に行くことができました。
トイレに行きたくなり、駐車場にある小屋のトイレに入ろうと思いましたが、鍵がかかっていました。
宮内庁の陰謀。使えない施設なら作らないでほしい。
閉まっていたトイレへの腹いせの戯言だけど。
明日香村のあちこちに「明日香を世界遺産に」という看板がありますが、確かに歴史的に価値あるものがたくさんありますが、周辺施設などにあまりに手を加えすぎているというかオリジナルからかけはなれたものになっているので、世界遺産登録は難しいのではないかと思います。
入鹿の首塚の周辺も、入江泰吉先生の古い写真では伝説が本当に思えてくるようないかにも首が飛んできたところのような景色で碑が立っていましたが、今は周辺が石で張られており、昔日の面影はありません。
他の施設も似たり寄ったりです。
石舞台も昔の景色の方がよかったですね。
また石舞台前のお店は訳の分からないディスプレイをしています。
高松塚の周辺もここが高松塚と言われなければ分からない普通の雰囲気で、歴史的な風が感じられません。
高松塚から少し離れたところに施設を作り、アプローチを長くして周りの雰囲気を味わいながら、高松塚を見学する、というふうにして欲しかったです。
あえて観光客に歩かせるのも、不便さを感じさせるのも観光地にとっては必要なことだと思っています。
このへんが日本文化発祥地なのに世界遺産に登録されない原因かなと、素人が勝手に思っています。
世界遺産になった熊野古道は、昔の姿に戻そうということで、道も舗装もせず頑張っています。
明日香などは、遺跡がでても埋め戻されれば表には何もありませんからね。
いずれにしろ京都のように観光客のために目立たないトイレを作りホスピタリティを向上させ、不要な看板は撤去し、町並みの景観を村全体で統一したものにしたとき、ユネスコもこれはいい、ということになるのではないかと思います。
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