かくれ里 石の寺2016年10月31日 12時17分36秒

昨日、紹介されて出かけた教林坊の境内の泉水を見ながら、なんとなくこの情景を見たことがある、というより記憶にあるな、と感じていました。
白洲正子さんのゆかりの寺だということも宿で聞いていました。
教林坊を参詣し、帰ってから白洲正子さんの著作である「かくれ里」を見てみました。
やはりその本だったのです。

その本には、天野の里や吉野の里のことが書かれていますが、石の寺のところは読んではいるのですが行く機会もないかなと思って読み飛ばした感じです。
ありました。

「石の寺」の章で書かれていました。

『~かつては観音正寺の末寺が三十以上もあり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊というささやかな寺が一つ残っているだけである~』

『~ここで私の興味をひいたのは、慶長時代の石庭で、これが中心の庭になっているのだが、いきなり山へつづく急勾配に作ってあり、よく見ると、それは古墳を利用してあるのだった~』

『~その石室の巨大な蓋石を、そのまま庭石に使ってあるのだが、不自然でなく、日本の造園の生い立ちといったようなものを見せられたような感じがする・・・・・』

ピックアップすると、そういうことが書かれていました。

これは教林寺のホームページでも出ています。
「かくれ里」の本をもう一度読んでみました。

いただいたパンフレットによると、

「教林坊は、推古十三年(605年)に聖徳太子によって創建されました。寺名の『教林』とは太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、境内には「太子の説法岩」と呼ばれる大きな岩と、ご本尊を祀る霊窟が残され、『石の寺』と呼ばれています。ご本尊は太子自作の石仏で、難産を帝王切開によって助けたという安産守護の言い伝えがあります(これを「我朝、帝王切開の濫觴なり」といいます)。子授け・安産のほか、ご詠歌に「九十九折れ たずねいるらん 石の寺 ふたたび詣らな 法の仏に」と詠われるとおり、どんな困難な願い事も二度詣でれば叶うという「再度詣りの観音さま」として信仰されています」

とありました。 
 
書院西面の庭園は小堀遠州作とつたわり、桃山時代を象徴する池泉回遊式庭園で、書院南面にも室町時代と考えられる庭園があり、小さいながら良くまとまった枯庭となっています。

水琴窟もあり、竹筒に耳を当てるといい音を出していました。

葦引き書院は三階まであり2階は経典らしき本が棚の中にあり、立派な火鉢も置いてありました。3階は仏様がありかやぶき屋根らしい組み方で、おみくじがたくさん結わえられていました。

こういうのいいですね。

境内のカエデなどは紅葉には少し早かったですが、逆光に輝く緑もまた趣があるものでした。

教林坊

紅葉にはあと少しです。

教林坊

教林坊

教林坊

教林坊

教林坊

この大岩、古墳の天蓋なのですね。
その下には聖徳太子が彫ったという赤川観音が祀られています。

教林坊

書院から庭園。いい雰囲気です。

教林坊

3階というより3層目の大黒天。

教林坊

おみくじがいっぱい。

教林坊

紅葉真っ盛りか雪の日に来てみたいお寺でした。

今朝はこの秋はじめての冷え込みで、9度でした。
CB400SSの小さなカウリングでは少し寒い感じです。
もう少し大きなものを考えないと。