MIHO MUSEUMに行ってきました2018年07月01日 22時45分02秒

草津から20kmほどのところの甲賀市にあるMIHO MUSEUMに足を延ばしました。
途中巨大な橋脚が目に入り、いったん行き過ぎましたが、また戻り写真撮りました。
なんか異様な感じでした。

近江大鳥橋ということで、なんとなくイメージはできました。
この橋脚の下に車を止めましたが巨大な橋脚のそばでは小さく見えました。
 
近江大鳥橋

遠くから見たところです。

近江大鳥橋

そしてMIHO MUSEUMにつきましたが、スパーカーがいっぱい駐まっていました。
手前の2台のフェラーリは、なんと和歌山ナンバーでした。
ナンバーも機種名がプレート番号になっていました。

ミホミュージアム

こちらにも。

ミホミュージアム

こちらにも。

ミホミュージアム

そしてこちらは電気自動車のシャトルカー。
チケットブースから展示場に行くまでに500mほどの坂を上りますが、足が悪い人やお年寄りにはきつい感じでした。

トンネルの中は異空間の感じで、楽しい雰囲気でした。
日本人の感性ではない感じがしたので設計者を聞くと、やはり外国人でした。
名前も聞きましたが忘れてしまいました。
メモればよかった。

ミホミュージアム

シャトルEVは9人乗りでした。

ミホミュージアム

そして展示場のエントランス。
なかなかいい雰囲気でした。
展示作品の感想などはまた後ほど。

ミホミュージアム

MIHO MUSEUM2018年07月02日 12時38分30秒

IHO MUSEUMの続きです。
とにかく人がいっぱいでした。
EVシャトルもフル運転でした。


MIHO MUSEUM

チケットブース前の広場には蓮の花が鉢植えされていました。
とにかく人がいっぱいでした。

MIHO MUSEUM

というわけで、昼ご飯を食べるのに1時間ほどかかりました。

右手に並んでいる人はパンを買う列。
左が食事を待つ人たち。
4つ折れくらいで順番を待ちました。

閑散としているどこかの美術館に見せてあげたい光景です。

係員さんはこれだけの人に群れの中でも笑顔を絶やさず、にこやかに対応していました。また英語を普通に使っていました。

愛想の悪いどこかの博物館の人には見習ってほしい光景でした。

MIHO MUSEUM

窓の外はEVシャトルを待つ人が並んでいましたが、ふと見ると、いい乗り物が見えました。見たところ折り畳みでかなり軽そうです。

結構体重が重い方だと思いますが、カートは軽々と走っていました。
こんなのを一台トランクに乗せておけば何かと便利でしょうね。

MIHO MUSEUM
ここMIHO MUSEUMに来て感じたことは、ここでもそうですが、一般的に1企業や1個人が運営するMUSEUMのほうが見た後の満足感も大きいですね。
たくさんの人に来ていただかなくては成り立たないので、いろいろ工夫されているのがわかります。
やはり行政の運営するこうした施設は、どこか華やぎやワクワク感がないですね。
いくら展示品がよくても、ホスピタリーティが悪いとお客様に満足感を与えないです。
最近日本の美術館や博物館の人気が出ているらしいですが、ここは公営の施設も気合を入れて楽しい展示品の工夫とよりよい館員のおもてなしを期待します。
そうした意味でこのMUSEUMは、建物も展示もバラエティに富んでおり、館員の方の対応も◎でした。

サッカー残念でした2018年07月03日 22時40分14秒

朝テレビをつけるとW杯で日本チームが惜敗したといっていました。
2点も取ったのに残念ですね。
でも頑張りました。
これで1次リーグ戦でパス回ししたことが帳消しになりました。
それにしても残念。少し心が残りました。

次に期待しましょう。

もう一つ残念なことが桂歌丸さんがなくなったことで、笑点で病気について様々にネタにされていましたが、力尽きたという感じです。

経歴を見たら病気のオンパレードで、そんな体でよく頑張ったと、尊敬します。最近はいい仕事をした人が一人また一人となくなり、寂しくなってきました。
自分自身の年齢も重ねている証拠です。

せめて平均年齢まで生きたいと思っていますが、さて。

写真は会社の近くで散策していた中国の観光客。
スーツケースのデザインが面白くてカシャ!

40万アクセス2018年07月04日 12時33分41秒

仕事が一息ついたのでふと自分のページを開くと、なんとなんと、400,000アクセスのキリ番でした。
たまたま開けると400,000アクセス。
なんとなくうれしいですね。

1998年10月からページを立ち上げてちょうど20年足らず。
ページを立ち上げたころキリ番を踏んでくれた人にプレゼントしたり、キリ番を踏んだら連絡してプレゼントをもらったりしました。

そのころはアナログ回線で、少し早くなったISDN回線でも思ったスピードではなく、いかにきれいに軽い画像を作るかいろいろ悩みました。

光ファイバーになって回線スピードが考えられないくらいに早くなり、うれしくなり画像容量を気にせずアップしていたらサーバー容量が無料範囲を大幅に超えてしまい、超過料金を取られる羽目に陥りました。

今は古いページの画像サイズや画質を落としページ全体を軽くしています。

少し画質が落ちましたが当初二つのサーバーで560Mほどあった容量を何とか合計で180M程に落とし、サーバー容量無料の範囲内にまで軽くしました。
まだリサイズを続けていますがこれは結構大変な作業です。

パソコン通信から初めてインターネットにつないだ時の回線スピードは2400BPSで、下手にアクセスすると電話代が馬鹿高くなるので苦労しました。

初めてインターネットアクセスしたページはホワイトハウスで、この時はまだ画像は出ずにテキストだけでした。
当時インターネットへのゲートウェイを開いていたプロバイダはアサヒネット以外それほど多くなかったですね。

ホワイトハウスで大統領のメッセージを見たときは意味が分からないままでしたが、カンドーしました。

BBSで、スキャナーで読み取った画像を送るときは、専用ソフトでRGBの3原色に分け、それぞれの色を別々に送信し、受けた人がネット仲間で作った複合ソフトで元の写真を受けて、いまでいう「いいね」を返信しました。

ユビキタス社会を目指そうと技術を積み重ねてきたのですが、もう当時の概念を大きく超えて、「いつでもだれとでも」に加えて「いつでもどんなものとでも」に変わってきました。

人間そのものはそれほど変わっていないのに、ネットワークのできることが想像以上に広がっています。

AIブームでそれがさらに加速されてきますが、このまま進めばどうなるのでしょうね

もうすぐ七夕2018年07月05日 12時25分37秒

土佐堀川堤防柵にかけられている看板。
なんとなく気になってカシャ!

なんとなく面白くない看板です。
もっと気の利いた表現はないのでしょうか。

餌を上げても、それほど通行の妨げになるとは思えないのですけどね。
鳩もフンガイしていると思います。


メトロの乗り場には七夕の短冊がいっぱい。
外国語の短冊も結構ありました。

もうすぐ七夕

もうすぐ七夕

そういえば天の川を最後に見てからどれくらいたつでしょうか。
子供の頃、田舎の空は満天の星空でした。
いまでも和歌山の南の街の大部分は天の川が見えると思いますが、和歌山の北部は都市の明かりで見えないですね。
まして大阪は星も見えません。


宇宙ステーションから見ると、日本は夜が他国と比べても、やたら明るいらしいです。
資源の節約のためにも、夜間のライトは極力少なくしてほしいのですけどね。

せめて星空の見える街つくりをお願いしたいです。

経験したことのないような大雨2018年07月06日 20時55分46秒

朝起きてテレビをつけ天気予報を見ると、「大雨で阪和線が運休」とありました。
そしていきなりケータイの緊急速報がなり、大雨警報が出て避難指示が出ているとものと。

これはこれは大変、ということでしばらくテレビを見ていると、雨のひどい地域の住民にインタービューをしていましたが、「ここへすんで50年になるけれどこんな雨初めて」というところが多かったですね。

ここ数年、経験したことのない大雨、と言う言葉をよく聞きますね。

今年もこれからどんな雨が降るかわかりません。
なんか気圧配置が尋常じゃないのでしょうね。
温暖化の影響でしょう。

電車がJRも南海も止まっているので、明日行く予定だった医者に行くことにし向かいましたが2つのルートともに冠水して通行止めでした。

医者は諦めざるを得ませんでした。
パトカーが車線を塞いでいかなくしています。
左の脇道や歩道は冠水しています。

大雨

Uターンして戻りましたが向こうの道では側溝に落ちた車が立ち往生していました。
ここも道と側溝の区別がつかなくなっていました。

大雨

めちゃくちゃ降ったのがわかります。
我が町のいつも冠水する団地は、幸いにも浸かることはなかったのですが、避難指示が出ていました。

これから台風シーズンとなって気圧配置が狂ってくると、また今回のような雨が降る鴨しれません、

「経験したことのない大雨」がまた降るかわかりません。

すごい被害が・・2018年07月07日 22時20分39秒

全国の大雨の被害が大変です。

これまでこんなに連続して広い地域に大雨が降り続いたという記憶は、ほとんどないですね。
何か気圧の谷間とか水蒸気の具合とかがあって長い雨雲を作ったのでしょうね。

それにしても自然の力は想像を超えています。
関東では地震まであったということで、改めて災害列島日本を感じます。
大型の台風もやってきています。
もうこれ以上の被害は出てほしくないですね。

そういえば学校のブロック塀を撤去してフェンスに取り替えると言うことをやっています。
事故が起こったのがたまたま学校だったので以後の対策ができつつありますが、問題は一般家庭のブロック塀で、素人目にも危ないブロック塀はあちこちにあります。
もし私が首長であれば、一般家庭の危険なブロック塀を見つけ、行政として指導するように指示します。

地震の際には言うに及ばず、今回のような大雨の時土砂や倒木が弱いブロック塀を直撃し、逃げている人に倒れかかったら、ひとたまりもありません。
防災はトータルで、対策を打ってほしいですね。

さらにすごい被害が・・2018年07月08日 22時05分18秒

大雨から一夜明けてもまだ雨が降っていました。
ニュースで見るとその被害が予想を超えるものだというのがわかってきました。

子供の頃から、風波の被害はよく受けていましたが、雨による洪水の被害はそれほど感じませんでした。

川の氾濫の方が天災としては怖いですね。

いつも思うのですが、極限の状況で生死を分けるのは何だろうということです。

タイの洞窟に閉じ込められた少年たちのうち、まず2名が助け出されたということで、よかったですね。
残りの11名も無事助け出されるといいですね。

彼らはチームワークと明るさが、真っ暗闇の中で希望をつないだのでしょう。

中学生の頃、コウモリを捕りに小さな廃坑に入り、友達が梁を外したとき上から土が大量に落ちてきて崩れ、あわや生き埋め、という経験をしたことを思い出しました。

自分自身が天災などで、ピンチに陥ったときどうして生き延びるかを、シミュレーションしておかなくてはと思います。

改めて自然の怖さを・・2018年07月09日 22時14分16秒

今朝の会社でのあいさつは、
「大丈夫だったですか?」
でした。
改めてニュースをみると言葉を失うくらいの被害でした。

被害のあった場所を見るとほとんど同じような場所で大量に土砂が押し寄せていました。
それと堤防の決壊ですね。

雨もこれだけたくさん降ると制御がきかないのでしょうか。
ダムや砂防ダムも役に立ってなかったです。
被害にあわれた方も、救助をしている自衛隊や消防隊の方々も大変です。
自然の猛威は人智の範囲を超えるというのを改めて認識しました。

今日も紀の川流域は、夕立でたくさん降ったとか。
和歌山線が動いていませんでした。

会社の事務所から和歌山方面を見ると、ビルは夕焼けできれいに光っていますが、南の山並みは重苦しい雲が覆っています。
山の向こうはたくさんの雨が降っていたのです。

今日の帰りの電車の楽しみは大谷君のホームランの記事でした。
いやなニュースはAさんの支持率が上がったということでした。

健康ブーム??2018年07月10日 23時17分30秒

最近やたら健康番組が多くなりました。
以前もそんなことを書いたことがありますが、健康食品の宣伝がやたら目立ち見ていると腹が立ってきますね。

効くのか効かないのかわかりませんが、宣伝に出てくる人はみな効いているのです。
ところが小さく、「これは個人の感想です・・」と書かれて、確かに効く人には効き、効かない人にはだめという感じです。

何万箱も売れたとか言っていますが、希少な原料からどれだけ作れるのか不思議でしようがありません。

化粧品にしても効能書き通りの効果があるのであれば、色白で若々しい人がもっとたくさんいてもおかしくないのに、そうでない人もかなりいます。

一昔前にアメリカがサプリブームでそれが行き過ぎ問題になり、和食がもてはやされるようになりましたが、日本の流行はアメリカの10年後を行くと言いますが、健康食品なども同じですね。

やはり口から食品としてきちんと入れるのが本当でしょうね。

写真は1977年7月の天王寺公園です。
そうそう寺は四天王寺なのになぜ天王寺というか不思議でしたが、平安時代「四」は「死」と発音が同じことから縁起が悪いので「四」を抜いたようです。当時の文書にも略して天王寺と書かれているそうです。