小山田遺跡現地説明会 ― 2015年01月18日 20時36分58秒
先日、新聞の第一面に大きく載っていた小山田遺跡の現地説明会に行ってきました。
いままで記録にもなく古墳としてはかなり大きいということで、大発見だという感じでした。
会場に行くとたくさんの人が見学の順番を待っていました。
説明員の方が、朝から5000人の人が見学に来たと行っていました。
私たちが入ったのは午後1時なので、今日だけで1万人を超えて見学したのではないでしょうか。
150人ずつ見学に行きました。
たくさんの人が熱心に説明を聞いていました。
なにやら特異な衣装の方が・・・
飛鳥美人。
付いていた男の人が、
「時代考証はきちんとしました」
といっておられました。
女性は、特に何もすることなく一緒に見学していました。
見学者は、熟年と40歳から50歳の親子連れが多く、20代はほとんどいませんでした。もう少し若者にも関心を持ってほしいですね。
私も20代の頃は関心がなく、今残念なことをしたと思っていますから、後悔しないように、もっと日本の歴史を学んでほしい感じがします。
写真の子供さんたちは一生懸命ガイドブックを見ていました。
いい経験になると思います。
遺跡は、奈良養護施設の建物跡にあり、石敷きのとぎれたところは養護施設の建物の基礎があったところらしく、その養護施設を建てたときにすでにこの石は出てきたはずですが、建築業者は遺跡が出たとなると建設に支障が出るので隠蔽したのではないでしょうか。
説明員はその辺のことは何も言いませんでした。
ただ、
「石積みがとぎれているところは、前の学校施設の基礎があったところです」としか言いませんでした。
古墳であれば、その施設を建設したときいろいろ参考になる埋蔵物があったと思いますので、少し残念です。
それにしても高度経済成長時代の施設建設の異常さが、ここにも現れている感じがします。せっかくの貴重な遺跡がズタズタにされています。
ガイドブックや考古学研究所の方の説明では、古墳に伴う掘り割りと言っていましたが、私はなんとなく蘇我家の邸宅の一部ではないかと感じています。
ま、専門家の方の調査をまちましょう。
近くに菖蒲池古墳があるので見てきました。
私が邸宅跡ではないかという根拠は、もし古墳であればこうした石棺があるはずで、学校施設建設をした人たちも石棺が出たら届けるだろうと思うからです。
何もなく建設できたということは、フラットな遺構だったのだろうかということです。
日本の歴史、まだまだ奥深くわからないことが多いですね。
見終わって外に出ると軽トラでミカンや餅を売っているおじさんがいました。
草餅とあったので、3つ買いましたが、草餅とは名ばかりで、普通の餅で申し訳程度に緑の色が付いているものでした。
ミカンも一袋買いましたが、落ちミカンのような感じでした。
こんなところでバチものを売ってはいけません。










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