なぜ釣りをするか2017年09月13日 12時36分36秒

なぜ釣りをするのかという思いがいつも心の片隅にあります。

最近での紀ノ川では、くそ暑いのに背丈ほどもある草をかき分けかき分け大汗をかいてポイントまで行きます。

カヌーの時は出艇までの準備が大変です。

私はやりませんでしたが、磯釣り命の友人なんかはよく釣れる磯まで冬でも泳いで渡っていました。
(串本辺りの海の水温は、冬は20℃近くあり、外気温よりかなり暖かく、見た目ほど寒くはないのです)

ともかくそれほどまでにして釣りに行くのはなぜなのか。

その一つは釣るまでのプロセスがありますね。
釣りは、ただ釣ることを目標としているわけではなく、魚を釣るまでに様々なプロセスを楽しめます。

どういうルアーでどういう攻め方でいくか、考えるのが楽しいですね。
そのポイントにあったルアーや仕掛けを準備し、磯釣りなどではタナ取りや潮見表などを確認しヒットを目指します。

天気なども左右され、毎回同じ条件で釣りができるというわけでもありません。それらを読んであれこれ釣り方の作戦を練るわけです。

ルアー釣りではルアーのチョイスに時間をかけ、ケースに詰めます。
釣果を夢見ながら準備をするプロセスがたまらなく楽しいのですね。

もう一つがギャンブル的な楽しみがあります。
バスで言えば、たまにランカーがヒットすると、また釣りに行きたいという衝動が抑えられなくなります。

大穴を当てたギャンブラーがその快感が忘れられずギャンブルにのめりこんでいく、釣りにもそれが言えると思います。大物の手ごたえの快感が釣りへの依存度を強めていきます。

ランカーをヒットさせ釣り上げそこなった後には、強烈な無力感・脱力感に襲われしばしボーゼンですね。
競馬などで絶対入ると思っていた馬が、鼻差で負けた時などと同じでだろうと思います。

最後に、魚と対峙するときは一人と一匹であるということでしょう。

魚と一対一の勝負ですからね。
いいサイズのバスを釣り上げ、リリースした後ほっと一息するときの満足感は他にたとえようもなくスバラシイのです。
そんなときのコーヒーはこの上なくうまいですね。

釣れないとき、ボウズの時は、逆に悲壮感を味わい、自分は何をやっているんだろうと思います。

仕方なく「釣れなくてもいいんだ、来ることに価値がある」と慰めます。

小学校の時から釣りを始めてこれまで釣り続けてきましたが、一生やめられない「遊び」だと思います。

CB400SSにまたがって、カメラをぶら下げ、日本各地の街々をめぐり同時に釣り場を釣りまわりたい、というのが子供のころからの夢としてあります。

写真は1994年紀ノ川です。
キャスティングはあまりうまくないので、ルアーを打ちにくいポイントには、カヌーで行くと釣れます。

ネガをスキャンしていた中にありました。

紀ノ川バス釣り

1993年山田ダムです。
いかにもバスがいそうなところです。

バス釣り山田ダム

あーまた釣りに行きたくなりました。
今度は海の、食べられる魚を狙いに行きたいですね。
2013年2月串本。串本のガシラはでかいのです。

ガシラ