夏の名残2017年10月11日 21時34分40秒

朝家から出かけるときに、我が家の門に小さな朝顔が咲いているのに気がつきました。
小さな朝顔です。

もう10月なのに咲いています。
通勤の途中の土佐堀川べりにかなり大きな朝顔が咲いていました。

いつもは朝日が朝顔をきれいに光らしているのですが、今朝は少し時間が早かったので光が当たっていませんでした。

写真の面白さはここにあるのですね。
いいシーンはその時間その瞬間しかないと言うことです。
その時間を逃すとだめですからね。

というわけで大阪の朝顔は平凡なものになってしまいました。

あさがお

都会の花と思えない感じで楚々と咲いています。
ピンクとブルーがあります。

あさがお

そしてもうひとつ今日の帰りの道。

我がCB400SSは、20,000kmになりました。

キリ番を写真に撮ろうと家までの道で、メーターに気をつけていました。
しかしローガンがあるためメーターの数字が見にくく、100m単位の数字が少し上がってしまいました。
走っている途中で20,000kmになったので歩道に駐めてカシャ!

ともかく20,000km。

次は22,222kmのぞろ目を楽しみに、安全に走りたいと思います。

CB400SS

電車の中で2017年10月12日 22時57分20秒

最近気になっていることがあります。
前にも一度書いたような気がしますが・・。

普段満員電車で通勤していますが満員なのに席に座らない人が結構いるので困ります。
今日も何名かありました。

車掌さんが「お詰めください」と言っているのに座りません。
席の前に立っているので、誰もその席に行けず空いたまま誰もすわれなくなっています。

座ってくれると2人ぶん他の人は、中に詰めることができます。

何となく最近そんな人が多くなった気がします。
スマホをやっているので手を下ろしている分詰められません。

バックパックを担いだまま乗っている人も最近多くなり、それも詰められない要因にもなっています。
それやこれやでみながちょっと工夫と気遣いをすれば、余裕が出るのになと思いながら、電車に揺られてます。

写真は1988年の環状線電車内です。

般若寺そして京都国立博物館2017年10月13日 23時39分59秒

今日は休みをもらって京都国立博物館の国宝展を見に行きました。
京奈和道路を走り奈良を抜け途中にある般若寺に立ち寄りました。
ここのコスモスや冬の水仙は結構有名です。
ちょうど今頃がいいだろう、と立ち寄りました。

ベストシーズンでした。

薄黄色いコスモスのバックに本堂が見えます。

般若寺

巨大な13重の塔。

般若寺

釈迦如来の石像もコスモスに囲まれています。

般若寺

本堂をバックに不動明王。

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

般若寺

そして京都での国宝展。
見応えありました。
素晴らしい一品ばかりでした。

京都国立博物館

今日は8時まで開館していたので見終わって出てきたときは夜でした。
旧館がライトアップされてきれいでした。

京都国立博物館

京都タワーもきれいにライトアップされていました。

京都国立博物館

10月の後半から展示品の入れ替えがあるのでまた来たいと思いました。

三千院・寂光院2017年10月14日 23時13分36秒

京都二日目は三千院。

1974年頃に来て以来で、ほとんど忘れていました。

パンフレットによると、三千院は延暦年間(782‐806)に伝教大師最澄が比叡山東塔南谷(とうとうみなみだに)の山梨の大木の下に一宇を構えたことに始まったそうです。
その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、平安後期以降、皇子皇族が住持する宮門跡となり、寺地は時代の流れの中で、比叡山内から近江坂本、そして洛中を幾度か移転し、その都度、寺名も円融房、梨本坊、梨本門跡、梶井宮と変わったようです。

明治4年、法親王還俗にともない、梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇御宸筆の勅額により、三千院と称されたということです。
明治維新後、現在の地大原に移り「三千院」として1200年の歴史をつないでいる、ということですが、三千院という名前が明治以降につけられたとは知りませんでした。

三千院のことは、あまりに語り尽くされているので私がとやかく言うこともないのですが、やはり名刹ですね。

たくさんの人が参拝していました。
半数近くが外国の人でしたが・・

三千院

定番のアングル。

三千院

この前で庭を鑑賞している人たちは全員が各国の方たちでした。
この庭を楽しんでくれていました。
いいですね。

三千院

三千院

さりげなくある国宝がうれしいですね。
写真に撮れないのが残念。

三千院

境内の真ん中あたりにあった弁天さん。

三千院

わらべ地蔵があちこちにありました。

三千院

こけに覆われています。

三千院

これは鎌倉時代の地蔵さん。

三千院

楽しげな地蔵さん。

三千院

観音堂。
中にまつられている観音様は作りが何となくシャープでなく、ファイバーっぽい感じでした。
ま、いいか。

三千院

この小さな地蔵さんが観音堂の横に一万体以上並べられていました。

三千院

梅茶やシソ茶を売っていましたが、この方たち英語できちんとやりとりしてました。
立派!

三千院

三山院の後は寂光院に参詣しましたが、また明日にします。

とにかく天気予報では雨だったので、時々薄日も差しまずまずの天気でしたのでラッキー!という感じの一日でした。

寂光院2017年10月15日 16時17分46秒

昨日三千院の後参詣した寂光院。

寂光院の本尊は六万体地蔵尊菩薩で鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)でしたが平成12年5月9日未明、放火により、本尊は大きく焼けてしまったということです。これはニュースでも大きく取り上げられたので記憶していました。

新たに小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元され、鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色で新造されたものが、安置されていました。
平成17年(2005年)6月再建されましたが、本尊と同時に徳子と阿波内侍の像も新しく作られ本尊の左右に安置されていました。

地蔵菩薩の本願は、抜苦与楽ということで、それは慈悲の心を表わし、人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い抜け出させて頂き、願いを叶えて頂ける諸願成就のご利益があるということである、ということですが・・・。


高倉天皇と徳子の稜墓。

寂光院

寂光院の入り口の扉。


三門。

寂光院

秀吉が送った灯籠。

寂光院

「祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。」

平家物語と関わりが深いのがこの寂光院です。

六万体地蔵尊菩薩

寂光院

諸行無常の鐘。つくなと書いていました。

寂光院

三門から入り口を見たところ。

寂光院

茶室入り口の東屋の屋根のコケと落ち葉。
紅葉の頃はきれいな葉がもっと落ちているでしょう。

寂光院

寂光院を出て近くの漬物屋さんの前にあった漬物蓋と石。
石には日付が書いてありました。

寂光院

漬物屋さんの前にはスイス人観光客がたくさん。
売り子のおばさんも英語で何か言っていました。

寂光院

僕はおしっこ。

寂光院

寂光院を出て道を山手に行くと、石段がありそこを登ると墓石がありました。



徳子でしょうか。
かわいい顔をしています。

寂光院

たくさんの石塔がありました。平家一族のお墓でしょうか。

寂光院

寂光院

今日は朝から雨。
少し晴れたら釣りにと思いましたがだめでした。
今日みたいな日の方が釣れるのですけどね。
釣り師は雨でも行かなければいけないのですが・・・

古いネガをスキャンして一日が過ぎました。

選挙戦たけなわ2017年10月16日 22時31分29秒

選挙戦がたけなわですね。

いろいろな誰かがこんなことを言った言わない、とか様々な情報が飛び交っています。
頭のいい人たちが総力で作戦を練り戦略を立てて戦っています。

週刊誌の電車の中吊り広告をちらっと読むだけでも面白いですね。

どういう結果になるかわかりませんが、どう転んでも国民はすっきり感がないだろうと思います。

国民が、希望を出しても、それはいい、という施策がほとんどないですね。

うわべだけの選挙の時だけの、いいことだらけの言葉を並べていますがこれまで守られてことはありません。
政治家の無駄遣いをなくし、環境破壊の何物でもない無駄な公共投資を少なくしてお金を作ると言うことはないのでしょうかね。

選挙で国民のためになる党を選ぼうと思っても、核になる党がありませんものね。

少し情けないです。

ハゲといった人もでているのですね。
これはこれで結果が楽しみです。

22日は台風が来そうだと言うことですが、さてさてどうなるのでしょうか。



写真は毎日通る道から見える看板。
???という感じで面白く見ながら毎朝通り過ぎています。

どうなる日本2017年10月17日 22時15分00秒

ペルーが日本へ来て、その仲間が日本を見て歩いた時の日記に、

「今にこの国は世界でもトップレベルの国になる」

という風なことを書いていたというのを物の本で読んだ記憶があります。その理由として、

「器用で勤勉で、裏表のない仕事をし、他人を思いやるやさしさがある。また品格がある」

ということも書かれていたと言うことです。
私はそのことを知ったとき日本にうまれたことを誇りに思ったことを覚えています。

実際その予言通りに日本はあらゆる面で世界のトップレベルの国になっていったのですが、いまやどうでしょうか。

最近の信じられないような不祥事を見ていると、何かどこかでこの国は踏み外しているという感じがしてなりません。
福島原発の事故を見ていても責任のなすりつけあいをして、どうするのと言いたいですね。

それやこれやで、日本は危機的状態だと思います。
特に品格がなくなりつつある気がします。

穿った見方をすれば、リーダーの品格が全くないために国全体がおかしくなっている、そんな気がしてなりません。

もっと昔のリーダーは、よかれ悪しかれ、独特な貫禄と日本を代表しているのだというオーラーがでていましたが、最近のリーダーにはあまり感じられません。

選挙戦のまっただ中ですが、なんとなく諦めに似た気持ちになっています。
これで与党が過半数を占めたら国民に待っているのは・・・

雨ばっかり2017年10月18日 23時18分15秒

秋の長雨、こんなに降り続くといやになります。
アメリカの山火事に持って行きたいですね。

今日はカメラ雑誌の発売日です。
久しぶりに買ってみましたがあまり変わり映えしなくて昔のようなわくわく感がないですね。

記事にニコンD850のインプレがありましたが、カメラもここまで来たかというところまで発達してきましたね。

4575メガピクセルと気の遠くなるような画素数です。
その昔初めて買ったデジカメが103万画素でした。
それでも35万画素より写りがよくてうれしかったのですが、その当時から比べるとすごい進歩です。

会社の近くにキャノンのショールームがあり時々見に行くのですが、EOS6Dなどはずしりと重くてそれに明るい大きいレンズをつけて撮ってみると、やはりミラーレスにはない安心感があります。

今度のD850もいいでしょうね。

でもいったん軽いミラーレスを使い出すと、軽い方ばかりを使ってしまいます。

ニコンで言えば、DFを、ミラーレス並みに小型軽量にして作ってほしいなと思います。

ま、問題はそれらができたとして、先立つものがないので指をくわえて、「見てるだけ」、ということになることです。

写真はニコンのページから借りてきました。
かっこいいですね。

あおり運転のことなど2017年10月19日 12時30分12秒

最近車でのあおり運転などが注目されています。

私も若い血気盛んな頃は、遅い車が前を走っていると、ビタッと後ろにつけて運転したこともありますが、もうずいぶん前からそんな馬鹿なことはしなくなりました。

クラクションも下手にならすと、ややこしいリアクションをする人が多くなってきたので、これもよっぽどのことがない限り、鳴らさなくなりました。

自動運転になったら、遅すぎる車への催促アラームなど流してほしいですね。

アオリのことを言えば、陸上だけではなく水上でも感じる時があります。
海でカヌーを漕いでいると、プレジャーボートでわざと間近を走り抜けていく人たちがいます。

琵琶湖でも同じでした。

漁船はスピードを落としてくれるのですが、プレジャーボートは時々、そうでない人がいます。

小さな船が転覆するのを期待するような感じで、むしろスピードを上げて走り抜けていきます。
近くを走られると、大きなきつい波が押し寄せるのでこけないようにパドリングに神経を使います。

車に乗ると人が変わるというドライバーがありますが、これは陸上だけではなく水上にも、やはりあります。

漁師さんは、がんばれよという感じで、手を上げてくれたり声をかけてくれたりします。

そういえば長いこと海を漕いでいません。
若狭や伊根の海を漕ぎたいとずっと思っているのですが・・・・

写真は1999年に漕いだ湯浅湾です。
魚は、釣れませんでした。

縄文人はすごい2017年10月20日 17時56分35秒

先日京都国立博物館でいろんな国宝を見ましたが、他の国宝も素晴らしいものばかりでしたが、衝撃を受けたのはこの埴輪たちでした。
現代美術もこの造形美を超えてないなーと思いました。

日本人としてこの時代にこんな芸術を生み出していたことには、誇りを持てます。

岡本太郎さんが絶賛した理由がわかりました。

素晴らしい。

これが作られた理由を専門家の皆さんはいろいろ理由を考えてくれていますが、私は単純に作りたかったから作ったような気がします。
この自由奔放な造形を見てもそんな気がします。

画家や彫刻家が自然と創作意欲がわき作品を作り出すように自然と作りこんだと思います。
だからいいのでしょうね。

この埴輪を国宝にした人も立派です。
よくぞ残してくれました。

ミュージアムショップで買った栞のコピーです。

これは日本人の永遠の遺産です。