東近江市 ― 2017年10月01日 23時00分10秒
名護屋からの帰り、最近は夜っぴて走ることが少しハードになってきましたので、途中の東近江市に一泊しました。
朝起きてホテルの部屋の窓から外を見ると気球が一杯。
なんだこれはと思ってカメラを構えましたが、結構低いところを飛んでいるのもありました。
カラフルな球体がふんわり漂っている感じでした。
以前からやっているのは知っていましたが、こうしてまとまって飛んでいるのをみるのは初めてでした。
意外に低いところを飛んでいますが、風が急に変わって手前の送電線にかかったりしたらどうなるだろうかと、少し心配しました。
そのまま帰るのも芸がないので、東近江市を散策することにしました。
途中目についた神社に寄ったりしましたが、そのことは日を改めて書きたいと思います。
私の好きな近江鉄道の五箇荘駅を見に行きました。
電車の乗客が乗降している間も、新幹線が走り抜けていきました。
1時間2本なので少し間が開きましたが、次の電車の来るまで駅前を歩きました。
駅前の道の8軒ほどあるおうちの半数くらいが無人でした。
五箇荘駅の向こうは新幹線で、左右からビュンビュン次から次へと走り去りました。
一杯飲み屋の感じですが誰もいません。
電車から降りてちょっと一杯、とやれた頃にはきっとはやっていたのでしょうね。
今日は神社を箇所ほど巡りました。
能登川の水車にも行きましたが、それらは別の日に書こうと思っています。
ホテルの部屋でテレビを見ていると、選挙の話ばかりで,何がどうなるのやら選挙される側の人たちもよくわからないのではないでしょうか。
まして国民は置いてけぼりです。
議員さん方は保身ばかりに走っている感じです。
我利我利さんたちばかり。
日本の政治のレベルが問われます。
東近江市その2 ― 2017年10月02日 12時35分50秒
神社を回った後、能登川水車に回りました。
ここは何度か来ていますがゆっくり見た記憶がないので、今回立ち寄りました。
水車はきちんと回っていました。
公園の間を流れる小川には大きな鯉がたくさんいました。
餌も売っているらしく親子連れが小さなカップから餌を投げ入れていました。
カヌーおろし場に外来魚を入れる囲いがありましたが、機能していない感じでした。
所詮こんなものでしょう。
むしろ、この公園に生け捕ったブルーギルを放して、釣り堀にしたら人気が出るし外来魚の駆除にも役立つと思いますけどね。
貸しボート屋さんでは暇なのか、バスを小さなワームで釣っていました。
一年物のバスがよくかかっていました。
猫君たちは釣れるまでは知らん顔ですが・・・
掛かったら一気に集まってきます。
すぐにウッドデッキの上に放り投げます。
そして取り合いとなります。
ぎゃあぎゃあとにぎやかに取り合いますが、バスも生きているのでどちらもなかなか自分のものにすることはできません。
バスも食べられては大変と跳ねます。
とうとうつかまりました。
戦利品にむさぼりついています。
こちらはおこぼれをもらおうと待っていますが、この二人連れ、釣れそうにありません。
たぶん釣れないと思います。
貸しボート屋さんに甘えている猫君。
「夏にはたくさんボートに乗りに来るのでしょうね」
「あかんあかん。昔のように乗ってくれへん。やれ熱中症になるとか言って乗ってくれん。熱中症になったらこちらの責任になるからね」
「そうですか。バスも減ったのではないですか」
「そうやねかなり減らしたね」
「悪いのはブルーギルですよね」
「うんあいつは何でも食うからね」
風も強くなり乗る人もいませんでした。
ここはまたバイクの休憩所にいいらしく、入れ代わり立ち代わりツーリングのバイク集団がやってきました。
こんなシーン、見ているだけでも楽しいですね。
走りたくなります。
国政選挙の離合集散がたけなわとなってきました。
Aさんは、国難と言って外国のことばかり言っていますが、国内の、本当に手を入れなければいけない国難のことなどかけらもいっていません。
隣の国の核開発をいさめるのは、核爆弾を落とされた経験のある日本だけなのですけどね。
うまく事態を収束できたら世界中から喝さいを浴びるのにと思いますが・・・
現状はその反対方向に行っていますね。
銃乱射事件 ― 2017年10月03日 19時50分58秒
アメリカの銃乱射事件、痛ましいですね。
以前から銃規制は言われていましたが共和党の反対で実現しなかったということです。
やはり選挙の際支持が必要なことから規制に踏みきれないのでしょう。
それほど銃がアメリカの社会に必要なものなのですね。
一人の男の乱射で、50人を超える死者に200人を超える負傷者というのはこれまできいたこともないです。
バイオレンス映画のワンシーンのように、まさに修羅場だったと思います。
想像するだけでつらいものがあります。
これで銃規制が動き出せばいいのですが、Tさんはそれに触れなかったみたいですね。
日本でも時たま銃による殺人がありますから、よその国をとやかくいえませんが・・・
今日は晴れたのでやっとバイクで行けましたが、道はまだ雨の残りがたまっていて靴が泥で真っ白になりました。
またまた犬鳴温泉の手前で3台が絡む事故があり、私が通り抜けたときはパトカーが来たところでした。
毎朝通りますが、よく事故があります。
写真はどこからともなく入り込んで、ミキサーの上にいたカマキリ君です。シルエットになりました。
今年はカマキリをよく見ます。
昆虫たちの繁殖も多いときと少ない時の、周期があるのでしょうか。
以前から銃規制は言われていましたが共和党の反対で実現しなかったということです。
やはり選挙の際支持が必要なことから規制に踏みきれないのでしょう。
それほど銃がアメリカの社会に必要なものなのですね。
一人の男の乱射で、50人を超える死者に200人を超える負傷者というのはこれまできいたこともないです。
バイオレンス映画のワンシーンのように、まさに修羅場だったと思います。
想像するだけでつらいものがあります。
これで銃規制が動き出せばいいのですが、Tさんはそれに触れなかったみたいですね。
日本でも時たま銃による殺人がありますから、よその国をとやかくいえませんが・・・
今日は晴れたのでやっとバイクで行けましたが、道はまだ雨の残りがたまっていて靴が泥で真っ白になりました。
またまた犬鳴温泉の手前で3台が絡む事故があり、私が通り抜けたときはパトカーが来たところでした。
毎朝通りますが、よく事故があります。
写真はどこからともなく入り込んで、ミキサーの上にいたカマキリ君です。シルエットになりました。
今年はカマキリをよく見ます。
昆虫たちの繁殖も多いときと少ない時の、周期があるのでしょうか。
季節は秋につるべ落とし・・中秋の名月 ― 2017年10月04日 22時21分38秒
今朝は16℃でした。
バイクに乗るにはちょうどいい気温になりました。
少し早くに出たので普段から面白いと思っている水利池の鴨君たちを撮りました。
この鴨君たちは、手前の田んぼに上がり稲の穂を食べたり結構面白いシーンがあります。
今日も手前の土手に鴨とサギが等間隔で並んで面白かったのですが、カメラをかまえると散らばってしまいました。
ちょうどいい大きさの池なので、水鳥たちがよく羽を休めています。
休みなどにいいのを撮りたいなと思って構えて行くと、思ったシーンがないですね。
刈田の藁を立てている田が少なくなりましたが、このあたりには何枚かの田が昔ながらの景色を見せてくれます。
なんとなく癒される景色です。
今夜は中秋の名月です。
家からの名月。
帰ってからオリンパスにタムロン500mmレフレックスを着けて、何の芸もなくストレートに撮りました。
時間があればススキでもあしらえばよかったのですが・・・
大阪は、帰りの肥後橋手前からの名月。
和歌山は、桃山橋からの名月。
これは橋の真ん中から撮りましたが、次々車が走ってくるのでじっくり構えられませんでした(^^)
街灯がナトリウム灯ですのでオレンジにかぶりました。
早くLEDにしてくれるとLEDは太陽光と同じですのできれいに写ると思います。
帰りの気温は14℃。
秋本番ですね。
建部神社 ― 2017年10月05日 22時25分46秒
先日東近江にいった折に建部神社に立ち寄りました。
ホテルで東近江の観光地図を見て立ち寄りました。
境内であちこち見ていると宮司さんがおいでて、おうちのなかに招き入れてくれました。
お言葉に甘えて部屋に上がらせていただき中学校の先生をしていたという宮司さんにいろいろお話を聞きました。
パンフレットもいろいろいただきました。
「建部神社は、十二代景行天皇が御子日本大和武尊の功名を録えるため、武部(後の建部)を定め、大和武尊死去三年後(景行四十六年) 御子稲依別王命(建部君、犬上君の始祖)が神勅により、母君の生国近淡海国神前郡建部郷千草嶽(現在の箕作山)中腹宮立と称する所に父君の霊を祀り、建部大明神と崇め給ふたのが起源である。
その後560年を経て、天武天皇白凰四年に至り、神裔建部安麻呂公が国司の命を奉じ栗太郡瀬田に奉遷し、近江一円の守護神即ち国社としてから約90年後、神護景雲2年再び同地の下の森(現在の場所)に新宮を建て、建部大明神、聖真宮を勧進し四柱の祭神を奉祀し、建部郷十七ケ村の総氏神となる。
かかる縁故を以って古代より毎年瀬田建部大社の春季大祭には当社より、鮎献上の神事が行はれ世界大戦中まで連綿として続けられたのである。
社頭を距てる南五丁の山の神古墳は、祭神稲依別王命の墳墓と伝えられる。
。
囚に稲依別王命の母君布多遅比売命(ふたちひめ)は近談海安之国造意富多牟和気王(おふたむわけ)の出で、尊死去後建部郷を賜はり居住して稲依別王命を育てらる。
依てこの地は大和武尊の御名代地と伝えらる。
後裔の建部君、犬上君の両族共に栄え建部大明神の神威も大いに輝き、神埼郡の名も神前のここより出でたりと説がある。
大化の改新により国府が瀬田に置かるやや、所在地に国社奉斎必要上社格高き当社を選び奉遷して近江一の宮とされた所以である。
当社は新宮とは云えかかる光輝ある古い由緒を有しながら、箕作、建部合戦等屡次の兵災により荒廃し、古文書構築物等凡て烏有に帰し本殿、神輿、燈罷等何れも江戸中期以降の建造に属し之を証するに由なき次第である。
但し右の事実は瀬田建部大社の古文書等に拠り厳然と証明され、宛も昭和50年を以て奉遷1300年相当の機会に元建部犬明神鎮座趾宮立に石標を建設し之が記念と神威顕彰に資したのである。」
その後560年を経て、天武天皇白凰四年に至り、神裔建部安麻呂公が国司の命を奉じ栗太郡瀬田に奉遷し、近江一円の守護神即ち国社としてから約90年後、神護景雲2年再び同地の下の森(現在の場所)に新宮を建て、建部大明神、聖真宮を勧進し四柱の祭神を奉祀し、建部郷十七ケ村の総氏神となる。
かかる縁故を以って古代より毎年瀬田建部大社の春季大祭には当社より、鮎献上の神事が行はれ世界大戦中まで連綿として続けられたのである。
社頭を距てる南五丁の山の神古墳は、祭神稲依別王命の墳墓と伝えられる。
。
囚に稲依別王命の母君布多遅比売命(ふたちひめ)は近談海安之国造意富多牟和気王(おふたむわけ)の出で、尊死去後建部郷を賜はり居住して稲依別王命を育てらる。
依てこの地は大和武尊の御名代地と伝えらる。
後裔の建部君、犬上君の両族共に栄え建部大明神の神威も大いに輝き、神埼郡の名も神前のここより出でたりと説がある。
大化の改新により国府が瀬田に置かるやや、所在地に国社奉斎必要上社格高き当社を選び奉遷して近江一の宮とされた所以である。
当社は新宮とは云えかかる光輝ある古い由緒を有しながら、箕作、建部合戦等屡次の兵災により荒廃し、古文書構築物等凡て烏有に帰し本殿、神輿、燈罷等何れも江戸中期以降の建造に属し之を証するに由なき次第である。
但し右の事実は瀬田建部大社の古文書等に拠り厳然と証明され、宛も昭和50年を以て奉遷1300年相当の機会に元建部犬明神鎮座趾宮立に石標を建設し之が記念と神威顕彰に資したのである。」
ということでした。
少し難しいですね。
おもしろかったのは、この神社の近くに飛行場があり、記念式典の際に投げ落としたという書筒があったことです。
建部神社武運長久の賓剱守護札もいただきました。
中に入っていた説明書きには、
「建部神社武運長久の賓剱守護札は、昭和9年から昭和20年まで、沐俗斎戒した若手氏子が調整し、久瀋宮家・八日市飛行隊軍人及び帝国軍人に4.600余体配付された。
慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)……倭延命の教え
慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)……倭延命の教え
『日本書紀』には、日本武尊が西征で熊襲建(クマソタケル)を撃ち、その後、さらに東征をする前に立ち寄った伊勢神宮において、伯母の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)から草薙剣とともに授かった教え。
慎之、莫怠也(慎みて、な怠りそ)
『日本書紀巻第七大足彦忍代別天皇(荒行天皇)』という言葉が記録されている。
原文】景行天皇40年(庚戌110)冬十月壬子朔契丑(二目)。日本武尊発路之。
同月十月戊午(七日)戊午。
柱道拝伊勢神宮。イ乃辞于倭姫命日。今被天皇之命。而東征将誅諸叛者。故辞之。於是倭姫命取草薙剣。授日本武尊目。慎之莫怠也。
【文意】岩波文庫「日本書紀(二)」94頁より(西国制覇から帰還し十二年後)の十月二日、日本武尊は東十二道制覇の旅に出立。十月七日、伊勢神宮に参拝し倭姫命に言うには「今般、天皇の命で、東征し諸々の反逆者を誅します」と。別れに際し倭姫命は草薙剣を取り出し、日本武尊に授け、慎重に油断することなきようという。
「物事を謙虚に受け止めて奢らず、身を慎めば心が清らかになり、自分の為すべきことが見えて来る。そのときは勇気をもって誠実に、怠ることなく精進を重ねて為すべきことをやり遂げなさい。」
ということが書かれていました。
日本武尊の肖像画が飾られていました。
頂いた神符。
稲依別王命の墓ではないかと伝わる古墳
栗の実が供えてありました。
ノーベル文学賞 ― 2017年10月06日 23時26分35秒
びっくりしましたね。
日本人ノーベル賞受賞、という見出しがでたので、誰だろうかと見てみると、イギリス国籍の日本人でした。
もちろん本も読んだことはないですがこれから日本でも注目されるでしょう。
同胞がノーベル賞をもらったのは「でかした」といいたいですね。
その石黒さんが、日本で書いていたらどうなっただろうかと考えてしまいます。
受賞の後のインタビューで、
「村上春樹より早くとってしまってすみません」
といっていました。
村上さんも下馬評ではもらえるといつも言われますが、なかなかもらえないですね。
でも1億2500万円もの賞金が出るのですね。
これで本も売れてすごいことになります。
それを元にまたいい作品を書いてくれるでしょう。
本を買いに行かなくちゃ。
日本人ノーベル賞受賞、という見出しがでたので、誰だろうかと見てみると、イギリス国籍の日本人でした。
もちろん本も読んだことはないですがこれから日本でも注目されるでしょう。
同胞がノーベル賞をもらったのは「でかした」といいたいですね。
その石黒さんが、日本で書いていたらどうなっただろうかと考えてしまいます。
受賞の後のインタビューで、
「村上春樹より早くとってしまってすみません」
といっていました。
村上さんも下馬評ではもらえるといつも言われますが、なかなかもらえないですね。
でも1億2500万円もの賞金が出るのですね。
これで本も売れてすごいことになります。
それを元にまたいい作品を書いてくれるでしょう。
本を買いに行かなくちゃ。
秋を探しに行ったのですが・・ ― 2017年10月07日 23時50分25秒
今日は朝少し早く起きてバイクのバックに細工をしました。
トップケースの上のバッグにフックを取り付けました。
これでバックにバックを掛けられるようになり、ツーリングの時など収容力が増します。
それからお医者へ。
普段の薬をもらい、先日のドックで引っかかったところを見てもらいました。
なんともなければいいのですが。
帰りはCBちゃんで少し流して秋を探したのですが、まだ本格的ではなくてコスモスなどもイメージ通りのところはなかったですね。
もう終わりなのかな。
まだこれからかな。
稲穂がきれいに色づきもう収穫できるようになっていました。
曇っていた空がこのとき急に晴れました。
またまたカマキリがうろうろしていたのでカシャ!
CBちゃんでもっと走りたかったのですがなんとなくふらつき、ぼけたのかなと思いながら帰り、体温を測ると7度5分ありました。
紀ノ川バス釣り・・久しぶりの青年バス ― 2017年10月08日 18時18分25秒
秋の深まりとともに庭に来る虫が多くなりました。
カマキリを始め、トンボ、バッタが多くなりました。
今朝もトンボが何匹かやってきました。
黄コスモスもよく咲いています。
そして紀ノ川。
ここもトンボが何種類か飛び交っていました。
モズが高い木の上で大きな声で鳴いていました。
川にでて数投目にやってきました。
これまで子バスばかりだったのですが、やっと少しましなバスが来ました。
今度はばらさないように何度か当てたので、がっちりかかりました。
少しましな手応えのあるバスは本当に久しぶりです。
ゲーリーヤマモトで釣れなかったので、必殺ラパラに変えた途端来ました。
蝶々もいろいろ飛んでいました。
場所を変えましたがそこは水深が極端に浅くなり、水も澄んでいてそこが丸見えで泳いでいるのがよく見えました。
鮒が多いのですが、ブルーギルもいました。
メップスのブラックフューリーを打つとよくかかりました。
このルアーもよく釣れます。
コーヒータイム。
川の底が見えています。
夕暮れが迫ってきました。
今日は釣れたので少しるんるん。
次はランカーサイズが来てほしいなと思いながら帰途につきました。
大台ヶ原 ― 2017年10月09日 22時47分55秒
3連休の最後の日。
ウンドーをしていないので体がなんとなくシャキッとしないので、手軽にいける大台ヶ原に登りました。
まずシオカラダニを目指しました。
いままでは日出が岳からいくのですが、今日は反対側から登り始めました。
このコースは最初が下りが続きこのシオカラダニからは延々と登りが続きます。
ともかく下り終わり昼ご飯。
ここでモンベルの浄水器でコーヒー用の水を確保。
そのまま飲んでも大丈夫だと思いますが、とりあえずウイルスまでカットするというこの浄水器でこしてコーヒーを沸かしました。
コーヒーはなんとなくおいしく感じました(^^)
25センチほどのイワナが獲物を待っていました。
大中小のサイズのイワナが入れ替わり立ち替わり、行ったり来たりしていました。
かなりの数のイワナが泳いでいました。
フライを流したら楽しい思いができるのではないかと思いますが・・・・
今日はたくさんのひと人が行き来していました。
食事が終わった頃からガスがかかりだし、近くの景色しか見えなくなりました。
牛石が原も霧の中。
神武天皇も霧の中。
手をかざしてもだめでしょう。
昨年ここに登りましたが紅葉は遅くてがっかりでしたが、今日はもう2,3日早い感じで、まだすべてが紅葉していませんでした。
これだけ暑い日が続くと紅葉はかなり遅れるのではないかと思います。
作業用のモノレールが作られていました。
これを観光用に走らせると面白いですね。
それほど自然を壊しませんものね。
エンジンではなく電動式にするとなおいいですね。
昆虫があまりいない大台ヶ原ですが、この木でなにやら毛むくじゃらな幼虫がうごめいていました。
戻ってきた駐車場も真っ白でした。
帰りの道もガスってフォグランプをつけて走りました。
ガスの中鹿に合わないかなと思いましたが、駐車場で鳴き声を聞いただけでした。
CB400SSが一年無事に走った ― 2017年10月10日 21時51分43秒
今日CB400SSを購入してから1年経ちました。
19949km走りました。
買ったときが13264kmだったのでこの1年間で、6585km走ったことになります。
一ヶ月平均548kmです。その間トラブルなし。
燃費は26km/リットルです。以前のKLE400が23km/リットルだったのでかなり経済的になりました。
燃費以外にCBにしてよかったと思うのは、サイドスタンドが出しやすく安定していると言うことです。
以前のKLEはサイドスタンドの角度が悪く、倒れないように駐輪する場所を探すのが大変でした。
CBはどこでも気軽に駐輪できます。
車重が軽いので取り回しがやりやすいのは言うまでもありませんが、それ以上に分解修理などがめちゃめちゃやりやすいこともありがたいことです。
それやこれやでこのバイクに満足しています。
明日には20000kmを超えます。
これからもずっと大事に乗っていきたいと思います。
選挙戦が始まりました。
私は投票する人は決めていますが、とにかく、このまま、いまのまま進んでいくと大変なことになると思います。
国民すべてが賢い選択をしてほしいですね。
19949km走りました。
買ったときが13264kmだったのでこの1年間で、6585km走ったことになります。
一ヶ月平均548kmです。その間トラブルなし。
燃費は26km/リットルです。以前のKLE400が23km/リットルだったのでかなり経済的になりました。
燃費以外にCBにしてよかったと思うのは、サイドスタンドが出しやすく安定していると言うことです。
以前のKLEはサイドスタンドの角度が悪く、倒れないように駐輪する場所を探すのが大変でした。
CBはどこでも気軽に駐輪できます。
車重が軽いので取り回しがやりやすいのは言うまでもありませんが、それ以上に分解修理などがめちゃめちゃやりやすいこともありがたいことです。
それやこれやでこのバイクに満足しています。
明日には20000kmを超えます。
これからもずっと大事に乗っていきたいと思います。
選挙戦が始まりました。
私は投票する人は決めていますが、とにかく、このまま、いまのまま進んでいくと大変なことになると思います。
国民すべてが賢い選択をしてほしいですね。
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