イベント二日目 ― 2019年09月21日 22時23分13秒
今日は雨が降ると思って出かけた。
まだ彼岸花は咲いていなかった。
インテックス大阪でイベント二日目。
終了時はまだ明るかった。
弁天町で電車を待っているとクロシオが通り過ぎた。
特急が走り去る姿はかっこいい。
電車に乗ると阪神のユニフォームを着た人が多かった。
メガホンがトートバックの中にあった。
電車の中でも阪神ユニフォーム同士うれしそうにあちこちで話し合っていた。
家に帰って広島阪神戦の結果を見ると、阪神が勝っていた。
納得。
帰りの阪和線にも阪神ユニフォームが数人乗っていた。
そしてDeNA対巨人はせっかく巨人が負けていたのに同点にされ、そして逆転を許して巨人が優勝。
これはあまりうれしくないね。
入院していたとき買ったコルチカムが芽か根か知らないが結構勢いよく長く伸びてきた。
ネットで見ると水をやらなくても花が咲くらしい。
ネットの写真を見ると結構きれいな花で、咲くのが楽しみである。
本当に水をやらなくてもいいのか心配だが、このままでいいらしい。
彼岸花が咲いた。 ― 2019年09月22日 22時47分25秒
彼岸花が咲かないと心配していたら、今朝田んぼの土手できっちり咲いていた。
パラパラだが咲いた。
やはり花は季節を知っていた。
昼もかなり時間が過ぎてから大阪市立美術館で開かれている浮世絵コレクションを見に行った。
2色刷の浮世絵草創期の版画から北斎、広重などよく見たことがある絵の本物があった。大切に保管されていた版の新しい浮世絵は色も鮮やかできれいだった。
ゴッホが模写したという梅の木の絵も原画であった。
思ったよりシャープでクリアだった。
これならゴッホもほれるだろう。
北斎の赤富士も展示されていたが、色鮮やかで我が家にかけている現代版の赤富士(現代の版画作家が模写して刷ったもの)より鮮やかで、迫力があった。
天王寺公園ではファンゾーンとして大型ディスプレイを設置しラグビーのワールドカップの大会を映していた。
皆一生懸命応援していた。
1970年代によく撮したところだが、今はあべのハルカスがそびえている。
今日は晴れのち雨のち晴れという予報だったが、それはきちんと当たった。
天王寺に着いた頃大粒の雨がたくさん降ったが、展示会を見て終えて外に出たときは晴れていた。
明日は彼岸花の初物を写真に撮りに行こう。
何とも締まらない彼岸となった ― 2019年09月23日 21時22分04秒
昨夜の風は、先日の台風の時より凄かった。
ガレージの屋根も少しめくれた。
テレビのBSをもう一台のテレビでも見れるようにしようとして、機嫌良く見られていたいつも見ているテレビまで見えなくしてしまった。
原因は地デジと同じような感覚でアンテナの分岐を作ったためで、BSのアンテナ線にテレビから15Vの給電がされていると知らなく、ショートさせてしまい、テレビの保護回路が働き、見えなくなってしまったのである。
先にマニュアルを読んどけばよかった。
話は変わって、スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)が飛行機のかわりにCO2排出量がゼロのヨットで15日間、4800キロの旅を終えてニューヨークに到着した、というのはまだ新しいニュースである。
二酸化炭素(CO2)排出を懸念するトゥーンベリさんは、ヨットを選んだのである。
ニューヨーク到着後、トゥーンベリさんは「自然をめぐる戦争は終わらせなくてはいけない」と語った、という。
凄いね。
オバマさんと握手しているところも報道されていたが、TさんやAさんははどう思っただろうか。
金曜日にたった一人でデモを始めて、今では国際的な広がりを見せているが、環境のジャンヌ・ダルクかわからない。
彼女の活動はきっと歴史に残るのではないだろうか。
トゥーンベリさんは自閉症の一種であるアスペルガー症候群を患っているらしいが、本人は、この症状で「枠にとらわれずに物事を見られるようになった」と話しているという。
同じ病気の人たちにも勇気を与えるのではないだろうか。
写真は1973年9月大阪梅田地下街でのスナップ。
当時、大阪ではいつもどこかでこうした演説をしている人がいた。
今日スキャンしたものの中にあったもののうちの一枚。
ガレージの屋根も少しめくれた。
テレビのBSをもう一台のテレビでも見れるようにしようとして、機嫌良く見られていたいつも見ているテレビまで見えなくしてしまった。
原因は地デジと同じような感覚でアンテナの分岐を作ったためで、BSのアンテナ線にテレビから15Vの給電がされていると知らなく、ショートさせてしまい、テレビの保護回路が働き、見えなくなってしまったのである。
先にマニュアルを読んどけばよかった。
話は変わって、スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリさん(16)が飛行機のかわりにCO2排出量がゼロのヨットで15日間、4800キロの旅を終えてニューヨークに到着した、というのはまだ新しいニュースである。
二酸化炭素(CO2)排出を懸念するトゥーンベリさんは、ヨットを選んだのである。
ニューヨーク到着後、トゥーンベリさんは「自然をめぐる戦争は終わらせなくてはいけない」と語った、という。
凄いね。
オバマさんと握手しているところも報道されていたが、TさんやAさんははどう思っただろうか。
金曜日にたった一人でデモを始めて、今では国際的な広がりを見せているが、環境のジャンヌ・ダルクかわからない。
彼女の活動はきっと歴史に残るのではないだろうか。
トゥーンベリさんは自閉症の一種であるアスペルガー症候群を患っているらしいが、本人は、この症状で「枠にとらわれずに物事を見られるようになった」と話しているという。
同じ病気の人たちにも勇気を与えるのではないだろうか。
写真は1973年9月大阪梅田地下街でのスナップ。
当時、大阪ではいつもどこかでこうした演説をしている人がいた。
今日スキャンしたものの中にあったもののうちの一枚。
だいぶ涼しくなってきた ― 2019年09月24日 13時20分11秒
串本の我が家・・今はもうない ― 2019年09月25日 12時41分09秒
秋がどんどん進んでいく ― 2019年09月26日 13時05分57秒
彼岸花満開 ― 2019年09月27日 21時54分21秒
ウミガメのことなど ― 2019年09月28日 20時47分32秒
串本は土地も狭く田も少なく牧場もないため、海からの恵みで生きてきた。
鯨や亀は、貴重なタンパク源であった。
それがいつの頃からかウミガメの生息数が減り、絶滅危惧種の保護動物になってしまった。
鯨はいろいろとややこしい問題を抱えながら、漁をしている。
牛肉を食べるのには抵抗がないくせに、野生動物が殺され食卓に上がるとかわいそうだという人たちがいるが、どこかおかしい。
写真は1973年の我が串本でのウミガメの解体風景である。
私の子供の頃は時々こうした風景があった。
亀が上がると近所が集まって大きな鍋で亀の肉をゆで、皆でつついた。
味はすっぽん料理の匂いをきつくした感じだが、おいしい。
栄養たっぷりの感じがする。当時は醤油だけで食べた。
私が子供の頃の記憶からすると、年間捕獲した亀はせいぜい50頭くらいだったと思うが、それぐらい捕獲しても減ることは無い。
小笠原では現在も130頭程度捕獲が許可されているそうである。
私は亀が減った理由は、産卵場所を減らしてしまったためだと考える。
大事な砂浜や渚を不必要な埋め立てや護岸工事をして、彼らの産卵場所を狭めてしまったためである。
人間の経済活動が彼らを存続の危機に陥らせ、少なくなってきたから保護しようといっても、もう遅い。
解体している所も昔は砂浜だった。
砂浜が昔のまま残っていたなら、何百匹いやもっとたくさんの亀が生まれたはずである。亀は生まれた浜に産卵しに戻るが、産もうした砂浜が、コンクリートで覆われていたら産卵場所が無くなる。この浜もすでにコンクリートで覆われている。
亀の産卵は不可能である。
ここが元の砂浜なら少なくとも10頭の産卵場所はある。
1頭200個ほど産卵するとして、2000頭がこの浜を巣立つ。
成体になるのはそのうちの一割にも満たないと言うが、10頭ほど戻れば以前の親亀も合わせ総数は増えても減りはしない。
この単純な計算を狂わせたのが、人間の経済活動であると言うことをわかってほしいのである。
写真はもっとたくさん撮ったのだが、少し刺激が強いシーンがあるので2枚にした。
彼らが産卵できる砂浜がもっとたくさんほしいが、かなり絶望的である。
それに加えて最近ではプラスチックの問題でも深刻な影響があるとニュースでよく出る。そのうち絶滅してしまうのでは無いかと心配している。
平城宮東方官衙地区発掘現地説明会 ― 2019年09月29日 22時09分47秒
今日は久しぶりに奈良平城宮の発掘現場での現場説明会にいった。
平城宮東方官衙地区の発掘調査現場で、たくさんの人が現場を見ていた。
奈良時代の基壇建物で東西29m、南北17mと広い平城宮の建物の中でもトップクラスの大型建物ということである。
出土品から平城宮の中でも格式の高い役所跡だと推定している。
久しぶりの現場説明会だったが、埋もれた中から遺構を見つけ出すのは大変な作業である。
もう9月だのに夏空だった。
朱雀門ではモデル撮影会をしていた。
昔はよくやった。
一次大極殿を建設していた。
完成にはまだかなりかかりそうである。
発掘現場。
こんな建物の基壇ということであった。
出土品。
ススキと朱雀門。マンヨウの気配が漂う。実際はここはメインストリートなのでススキなどはえていなかっただろうが。
家のコルチカムがめちゃ伸びてきた。
水も何もやらないままこれだけ伸びてきた。
クジラのことなど ― 2019年09月30日 12時53分58秒
先日はウミガメのことを買いたが、熊野地方は古くからクジラ漁も盛んであった。
それは今でも「食文化」の一環としてずっと続いている。
私も子供の頃、すき焼きはほとんどがクジラ肉だった。
私も子供の頃、すき焼きはほとんどがクジラ肉だった。
カナダのイヌイットなどがアザラシやクジラを食べるのと同様であるが、追い込み漁が鯨を必要以上に苦しませるということから「クジラを取るな!」ということになっている側面もある。
それらは認識しているが、やはり「食文化」を担ってきたクジラである。
最近は、商業捕鯨や小型沿岸捕鯨、調査捕鯨などをすべて含む鯨肉の生産量は、昭和37年の22万6千トンをピークに、平成29年には3千トンにまで落ち込んでいるという。
消費量も激減する中、商業捕鯨が成り立つかどうかという懸念もあるが、やはりクジラの生息数をきちんと把握し、種の保存を確認しながら、漁は続けるべきだと思う。
消費量も激減する中、商業捕鯨が成り立つかどうかという懸念もあるが、やはりクジラの生息数をきちんと把握し、種の保存を確認しながら、漁は続けるべきだと思う。
問題は、いつも地球環境や生物のことを無視し、儲けのことばかり優先するからで、すべてがいびつになってくる。
クジラの捕獲にしても、コストが合わなかったらなくなってしまうだろう。
種に関していえばこれらもウミガメの減少と一緒で、地球環境が彼らにとっていこごちのいいものであったら、人間にとって必要数を捕獲しても増えもせず減りもせずいいバランスで数を保つ。
今年はサンマが不漁であるが、かれらも生活しやすいところに逃げているのではあるまいか。自然はそんなにやわではなく、そこに暮らす生き物も環境に応じて移動し、進化し、食性も変化させながら、生き延びる方法を考える。
環境を壊した人間は、これ以上地球を傷つけない方法を考え自分たちも生き延びる方法を考えていかなくてはと思う。
写真は1973年。
もうずいぶん前だが、シャチを捕獲、解体している所である。
何かいい被写体が無いかと、ふらっと行った所、シャチの首だけがあったのでびっくりし、撮ったものである。
今ではシャチなどを捕獲しないので、こういう所は撮れないだろう。
しかしシャチは大きい。
このあたりの人は、海からの恵みに感謝し、その動物の死を無駄にせず余すところなく、利用する。
これが動物と人との昔からの関係かな。
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