今朝は朝からいい天気 ― 2020年10月11日 20時24分33秒
今日は台風一過でいい天気。
まだ災害が続いているところもあるらしいが。
ニュースで琵琶湖の湖底の酸素濃度が極端に低くなっているといっていた。
気温が上がったままで対流ができないので2,3年前から心配されていたが、とうとう現実のものとなってきた。
すでにエビや湖底に暮らす魚の死骸が見られるという。
冷やされた水が底(最深部103m)まで行くことで攪拌されるというが、暖冬続きで表層の水が十分に冷やされないのが原因らしい。
温暖化の影響がじわじわと出てきている。
酸欠が続けば種の維持が難しくなるのも出てくるのではなかろうか。
なんとか旨い方法はないものか。
セイタカアワダチソウが咲き出したが、それに集まる虫たちがいっぱいいた。
これって花粉症の元かな
だとしたら明日がやばい。
今日はいい天気 ― 2020年10月12日 19時25分54秒
昨日、近くの志野神社が正遷宮で里中満智子先生の絵があると言うことで見に行った。結構にぎにぎしく正遷宮を祝っていた。
志野神社は、
和歌山神社庁の記事によると、
「天言代主命・加具土命・息長帯姫命を祭神とし、紀の川市北志野の桜池の近くに鎮座している。
『紀伊国続風土記』によれば、徳川南龍公の御代にこの北志野の地に人工池(桜池)を創ろうとしたところ夜毎に、奇妙な光が辺りに発せられ又、地鳴りが起こり村人等を苦しめたとあり、この事を聞かれた南龍公が村人等と相談されたところ、昔この地に天正の兵火に焼亡し慶安三年まで衰廃していた社殿があった事が判り、この社殿を新しく建立されたところこの奇妙な光と地鳴りが消えたとの言い伝えがある。
ここであえて言い伝えとしたのは、当社に確かな記録の書物等が無い為である。
尚、以前は、東屋御前神社と言いその後現在の志野神社と称している。
又、神功皇后の三韓征伐の行幸地としても『風土記』等に記されているがこの場合多くは「小竹の宮」と記されている。
現在の本殿鎮座地は、以前よりやや北に移っているが容姿等はほとんど変り無く保っている。
例祭日には、餅投げ等あり賑わっており、祭典終了後は、宮講の式も執り行う。
その他当神社には宮座が有り「木村座」「稲垣座」の2座で、1月・10月には座の式も執り行っている」
とある。
この神社は、所謂、「小竹ノ宮址」。
小竹の宮は日本書紀の神功皇后条にも登場する。
「皇后は紀伊國においでになって、太子(後の応神天皇)に日高でお会いになった。
群臣とはかって忍熊王を攻めようとして、更に小竹宮に移られた。
このときちょうど夜のような暗さとなって何日も経った。時の人は『常夜へ行く』といったそうだ。
皇后は紀直の先祖、豊耳に問われて、『この変事は何のせいだろう』と。一人の翁がいうのに、『聞くところでは、このような変事を阿豆那比の罪というそうです』と。『どういうわけか』と問われると答えて、『二の社の祝者を一緒に葬ってあるからでしょうか』という。
それで村人に問わせると、ある人がいうのに、『小竹の祝と天野の祝は、仲の良い友人であった。小竹の祝が病になり死ぬと、天野の祝が激しく泣いて『私は彼が生きているとき、良い友達であった。どうして死後穴を同じくすることが避けられようか』といい、屍のそばに自ら伏して死んだ。それで合葬したが、思うにこれだろうか』と。墓を開いてみると本当だった。
ひつぎを改めてそれぞれ別のところへ埋めた。すると光が輝いて、昼と夜の区別ができた」
ま、昔のことはよくわからない。
志野神社はそれほど大きくはないが綺麗ないい神社である。
なぜ里中先生の絵があるのか社務所の方に聞くと、里中先生がこの神社の人の親戚で、論文を読んでそれなら絵を描いてあげましょうと言うことになったらしい。
綺麗な素晴らしい絵を並べていた、白黒は原画で、着色したものも並べていた。
御朱印もその絵を印刷していた。
神社の上の桜井池ではボートが何艘か出てバスを釣っていた。
今までの御朱印でも一番綺麗。
境内にあった木だがなんとなく別の木が相互になじんでしまっている感じがする。
桜池ではバス釣りボートがかなりの数出ていたが釣れていそうになかった。
ちょっと出かけたが最近カブちゃんをあまり撮っていないのでカシャ!
今日も朝からいい天気 ― 2020年10月13日 09時49分16秒
今朝もいい天気である。
少し寝不足が続いているので体がなんとなく重い。
昨日はいい天気だった。
大和街道のてくてくページをつくってからもう20年以上経つので新しいバージョンにしたいので歩いた。
特に那賀地区や橋本市地区は都市計画で大きく町並みが変わってしまっているのでその変貌ぶりを確かめたかった。
粉河から歩き始めて名手本陣までを歩いた。
大和街道の町並みそのものは大きく変わりはないが、空き家が更地になってしまっていわゆる古街道のイメージの町並みは消えつつある。
JR和歌山線の線路踏切を渡るところがあるが、地図を見ながらいっていると後ろから女性が声をかけてくれて、
「どこまで行くのですか」
「名手本陣までですが」
「でしたらこの道ではなくもう一つ向こうの踏切で、その踏切を渡ってすぐ右にいくと大和街道です。この道をよく間違う人が多いのです」
ということで間違えずにすんだので助かった。間違う人が多いのでレクチャーしてくれたのである。
杏と蔵。このあたりは蔵のあるおうちが多い。
電柱に防火用ホース政党のポスター。うっかりすると見落とす。
電柱が邪魔をしている。
ここは変わっていないが以前歩いたときはこの格子戸はまっさらだった。
高級な柿なのかビニールをかぶせている。
草がうまい事同じ長さで切れているなと思ったら、電車走行でちょん切れた。
名手川で魚を狙うサギ君。
新設の道路なら電柱をなくしてほしかったね。
ここないが変わらないが人の気配はなかった。
郵便局である。
名手本陣も久しぶりに訪れたが、無料になっていてバージョンアップされていた。
女性が一人版をしていた。その女性からお土産にキーホルダーをいただいた。
結構歩いたので10000歩を軽く超えていた。
左側は馬を止めておいたのかな。侍の行き来を想像する。
早速キーホルダーをつけた。軽くていい。
夕方歩いた ― 2020年10月13日 17時58分19秒
今日はあまり歩いていないので、いつもの川に縁を歩いた。
休憩にコーヒーを飲んだ。
花に集まる虫君。何という虫だろうか。
スズメがたくさん集まってきた。これからねぐらに変えるのだろうか?
蛇君がいた。ヤマカガシである。かまれれば危険。
何かを狙っているらしく逃げなかった。
つぶらな瞳がかわいい。
カエルでもいるのだろうか。
舌で気配を探っている。
ヤマカガシはあまり見ない蛇だ。
マムシのように挑戦的ではないが、毒蛇の持つ独特な貫禄はある。
今日はブログを二つも書いてしまった。
昨日のてくてく記録の写真が多すぎたので、別に書いた。
世間はハンコの廃止でいろいろとうるさいが、何か順番が違う感じがする。
一足飛びに結婚や離婚のハンコをなくすというが、人生で数少ないイベントの時のハンコは性急になくす必要はないと思う。
早くしてほしいのは市役所などに出す書類の簡素化で、その中には当然ハンコの廃止も含まれる。
デジタル庁ができたがこのあたりをきっちり各省庁間で連絡を取り合っているのだろうか。なにかだんだん国民の願いから乖離しているのを感じる。
桂の木を見に行った ― 2020年10月14日 22時43分45秒
朝からいい天気だった。
今日は以前から見たいと思っていた桂の木への再チャレンジをした。
これまで道を取り違えて見ることができなかったのだが、いい地図がネットであったので登った。
道が一筋違っていた感じである。
夏の間は登る人もないらしく道は荒れていた。
蔦が絡んだところや倒木が20カ所もあり、普通の登山道であれば50分から1時間で登るところを2時間以上かかった。
下りも足場が悪かったのでこれも2時間以上かかり11時40分に登り初めて車の所に着いたのは4時過ぎであった。
桂の木はすごかった。
やはり天然記念物に指定されているだけのことはあった。
蔦やこうした倒木の根があちこちにあった。
こんな倒木が20カ所ほどもあり通り抜けるのに時間がかかった。
見たこともないカエルがいた。
沢ガニもいた。
いい天気が続く。 ― 2020年10月15日 20時54分39秒
今日もいい天気だった。
ありがたい。
そういえば10月と言えば各地で祭りのある月である。
稲刈りがすみ、村が総出で収穫を祝ったり、昔の言い伝えの祭礼を執り行ったりする。
写真は那智勝浦町下里の祭礼で、1977年10月のものである。
今年はコロナのせいで各地の祭りが中止または縮小している。
リタイアしての楽しみの一つは全国各地の祭礼を見て回ることも楽しみだったが、出鼻をくじかれた。
ただ昔の各地の祭礼は人が多く出てニギワイがあったが今はどうだろうか。
そのギャップも見てみたい、と思ったのである。
しかし今年は叶わない。
いずれにしろ祭りはハレの日であり、無礼講だった。
今の祭りはどうだろうか?
そして今年中止になった祭り、来年はどうだろうか?
この祭りも人出はどうなんだろうか?
だんだん寒くなってきた ― 2020年10月16日 21時14分27秒
今朝は寒いくらいだった。
窓を開けると入ってくる風が冷たかった。
最近熊に襲われたというニュースが多くなった。
けがをしたり、家の食料をあさったり、人里も恐れずにやってくる。
オオカミがいればこういうことはないのだが。
せめて犬でも飼っていたら味方になるのだが最近は柴犬でも家の中で飼うおうちが多い。
山の餌がないと言うがそれだけだろうか。
最近は野良犬もいないし、いるのは野良猫だけである。
ユーチューブなどを見ると犬は小さくても熊を追い払う。
イノシシもそうである。
日本にオオカミがいなくなって100年くらいだが、熊とオオカミは何万年と言う戦いの歴史があり、特にオオカミは熊などの天敵だったので、DNAにはきっちり組み込まれているはずである。
犬は先祖はオオカミであるから熊としてはオオカミに襲われるのが怖いとDNAに組み込まれているので、犬にはやはり一目置くのかもしれない。
何という花か知らないが、葉もなく花だけが咲いた。
今年はゴーヤを作るのに失敗したが、これはカリフラワー。
無事たくさん収穫できるか、これからである。
めちゃくちゃ寒い一日 ― 2020年10月17日 17時56分05秒
今日は朝から雨。
寒い一日だった。
ホームページを一つ作ったが、これからまた順次作り替えていくことにする。
写真は1990年のもので、会社が忙しくなり始めた頃で、このあたりの写真は少ない。
しかしあちこち撮っている。
どこかは忘れたがこのハンガーの形が面白かったのかな。
これも同じ街だと思うがどうも共同住宅みたいで、郵便受けも9つある。面白いのは二階の窓の花を植えている竹である。今時こういうアパートには入居者はいないだろうね。
なんか悟ったような表情でこちらを見ていたワンちゃん。吠えもせずじっと見ていた。
極端に三角のカラオケやさん。ビルの中がどうなっているか知りたかった。
「新空港」という店の名前もいいなー。
アパートに囲まれた二階建て。
なんとなく肩身が狭そうな感じがして、頑張れ、と声をかけたくなる感じがした。
もう30年経っているのでいずれの写真の景色も、もうなくなっているだろう。
昨日撮った花はコルチカムだった。
昨年は部屋で咲かして、球根を捨てないで庭に植えたのを忘れていた。
忘れコルチカム。
今朝も寒かった ― 2020年10月18日 18時39分06秒
今朝も寒かった。
夕方少し暖かくなってからテクテクした。
いつものように丸太川の土手を歩いた。
今日は虫ではなく、秋の景色と鳥を主に狙った。
ちょうど夕暮れが近い土手は、ススキの穂が輝いていた。
スズメたちがその実をつつきにきている。
逆光に光る羽を撮りたかったが、なかなか旨く撮れなかった。
もう少し長いレンズがほしいね。
モズやカラスは逃げないのできちんと狙って撮れる。
とはいってもちょっとシャッターの音がすると逃げてしまう。
このあたりの駆け引きが面白いところかな。
カラス君はいつもこの柱が定位置である。
景色はいいのだが。スズメ君はなかなかじっとしてくれない。
一枚だけ飛んでいる写真が撮れたがイマイチである。
ススキの穂の中で考え事をしているようなスズメ君。
モズ君は柱の上でよく鳴いていた。
これは電線に止まって何かを呼ぶように鳴いていた。
シラサギがたくさん集まっていたが、魚を捕っている風でもなかった。
帰ろうと歩き出したとき、多分ヤマドリだと思うが結構大形の鳥が土手の草むらから飛び出しビックリした。足下から飛び出したのでカメラを構える間もなく、そのまま対岸まで飛び去ってしまった。
少し前にはキジで今日はヤマドリ。まだまだ自然は残っている。
この日8600歩歩いていた。
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