高取町 くすりの資料館 ― 2017年05月26日 21時43分07秒
再び先日行った高取町です。
土佐町の中ほどに、高取町観光案内所「夢創舘」があり、その裏に薬の町「たかとり」を感じさせる「くすりの資料館」があります。
蔵の一部を改造している資料館は懐かしい薬が展示されてあり、面白かったです。
奈良はあちこちの町が薬を作っていますが、高取町もそうであったとは知りませんでしたた。
この高取町のくすりの歴史は古いらしく、遡ること飛鳥時代(西暦612年)に推古天皇が聖徳太子などと一緒に、高取に来て薬狩りを行ったと伝えられています。
自然に恵まれ薬となる動植物類が、豊富だったようです。
修験者によって大和の薬が、全国に広められたのが、大和売薬の興りとなったということですが吉野には陀羅尼助があり、薬つくりをする各町で競っていい薬を作ったのではないでしょうか。
江戸時代は高取城植村藩主が、江戸参勤の際、他の藩主に薬を贈り全国の販路拡大に貢献したそうです。
その後江戸中期頃から、明治にかけて各地を行商し、現代の配置販売の基礎ができたということです。
その後江戸中期頃から、明治にかけて各地を行商し、現代の配置販売の基礎ができたということです。
富山や奈良の薬の行商の人が来て、お土産に紙風船をもらったのを思い出しました。
あまり遊ぶものがなかった時代、そんなささやかなものでもうれしかったです。
ここ高取のことは、日本書紀にも載っているらしく、推古19年(611)で、「夏の五月五日に、菟田野に薬猟す・・・」とあり、続いて翌20年の第2回目は「夏五月五日に、薬猟して、羽田(はた)に集いて、相連きて、朝(みかど)に参趣く・・・」となっていて、この第2回目に出てくる「羽田」の場所が、高取町の羽内から市尾あたりのようです。
一度日本書紀を見なくてはいけません。
薬の歴史も面白いでしょうね。
懐かしい包装紙の薬がいっぱい。
いつもお土産にくれた紙風船。
私がよくもらったのは丸かったですね。
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