原発建設に反対した頃2019年08月23日 22時56分23秒

前の会社の組合でいろいろなデモやストを経験したが、この原発反対闘争は今でも意義があったと思う。
連日地域の人たちと反対運動をしたが、もし紀南に原発が出来ていたらと思うとぞっとする。

東南海地震では3分後に10mの津波が来ると言うが、もし原発が出来ていたらそれらは福島ぐらいの被害は覚悟しなくてはいけないだろう。

よくぞ断念させたと思う。

最近は日本ジオパークとして自然の成り立ちなどの、証拠の景観がクローズアップされている。
この貴重な自然のあふれるところに原発を建設しようという、その発想がおぞましい。
辺野古などどれだけ自然を壊せば気が済むのか、なぜそっとしておいてくれないのか。

オリンピック会場でもあるお台場の海は下水が流れ込むので大腸菌が基準の数倍以上あり、トライアスロンで泳いだ選手が何人も腹痛を訴えたという.
下水処理を別ルートにせず雨が降ればそのまま海に流すという中途半端な施設を作っているのでこうなる。
そんな下水道はだめだと当時反対したのは、確か、K党だけだったと記憶する。

大腸菌うじゃうじゃな海を作っておいて、誰も責任をとらないし改修計画もない。
フィルターでフェンスをしてその場しのぎのことをする。
真夏のオリンピックトライアスロン競技のスイムはどうするのだろう。

さみしいね。

写真は1978年6月原発反対闘争で盛り上がった日のもの。

最近その予定地近くにロケット打ち上げ基地が出来るという。
それの方がはるかに夢があり雇用も増えるのではなかろうか。

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

原発反対闘争の頃

昨日はツンドラの氷が溶けていると書いたが今朝のBSニュースではアマゾンの山火事は大変なことになっているとか、アマゾンが砂漠になれば、もう人類は生きていけないだろう。
早くなんとかしないと地球上の生物が生きていけなくなってしまう。

コメント

_ 脇田 泰志 ― 2020年12月04日 18時20分16秒

以前、姫の松原での記事にお邪魔した脇田です。
KIKUOさんと色々接点がありそうです。私の従兄弟が『原発を拒み続けた和歌山の記録』の編集委員の一人です。
KIKUOさんの串高時代の英語教師に松本という先生はいませんでしたでしょうか。『松本先生』は私の叔母の夫で、叔母も串高の保健の教員でした。また私の母は1950年頃串本小学校の教員でしたが父の転勤で広島、千葉、和歌山、大阪、東京、和歌山と移り住み、現在92歳で岩出に住んでいます。

_ KIKUO ― 2020年12月04日 20時59分00秒

おいでいただきありがとうございます。直接習いませんでしたので英語の先生だったかどうか覚えていませんが松本という先生はいました。私のクラスの担任だったと思います。写真もあります。
私は串髙を1967年に卒業しました。懐かしいですね。記憶をたどってみます。

_ 脇田 泰志 ― 2020年12月04日 21時59分51秒

私の串本保育園時代の遊び仲間は升岡写真店の息子と小山歯科医院の息子でした。東京で大学生時代、升岡君とは再会し串本でも何回か会っていますが、串本で歯科医院を継いだ小山君とは会う機会がないままです。河野花店の息子も同級生です。そのお兄さんは串本小学校で母が担任していました。
叔父の名は松本重郷といいます。橋本高校の校長で退職した後、初芝橋本高校の校長もやっていました。岩出に家があるのですが、2008年に亡くなっています。

_ KIKUO ― 2020年12月05日 20時39分42秒

升岡君だったら知っています。確か2年ほど後輩じゃなかったかと思います。河野花屋の息子さんのお兄さんというと僕の同級生もいましたけど。その方はK大に行った人でしょうか?
思い出しました私の担任松本和美さんです。ちょっと名前が違いますね。叔父さんすごいですね。

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