ふるさとのなまりが ― 2019年07月16日 22時39分04秒
今日の帰りの電車で、車掌さんの案内を聞いて、「あ、新宮弁だ」と思った。
独特のイントネーションは、そこに住んでいたものはすぐわかる。
中年以上の男性だと思うが、イントネーションは消えていない。
私もいまだに和歌山弁が出て困るときがある。
和歌山弁はもともと敬語が発達していないので、えらいひとと話をするときに失礼になるときがある。
和歌山ではそれが最高の敬語であったとしても、和歌山以外ではそうではないのである。
新宮弁でのその車掌さんは一生懸命にヒョージュンゴでしゃべろうとしていたが、やはり少し残っていた。
その人が近くにいたら「新宮の方ですか?」と聞いてしまうだろう。
以前テレビ番組の「ちちんぷい」にでてコメントしたとき、串本の友人がわざわざ「なまってたぞ。串本弁を久しぶりに聞いた」と電話してくれた。メールも何通かきたが、皆「なまっていた」と書いていた。
なまりは一生消えないね。
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