本州最南端2015年06月01日 12時48分10秒

古座川に向かう途中天気がよかったので、最南端を紹介したくて潮岬に立ち寄りました。私の昔の頃と基本的には、というよりほとんど変わっていません。

変わったと言えば下村海南記念館がなくなり、アラフラでの真珠貝採りなどの紹介する建物に変わっていました。

本州最南端

本州最南端

展示品は当時アラフラでよくとれた貝などが展示してありました

本州最南端

祖父がアラフラへの船団の船の船長をしていた関係で、展示品と同じ貝が我が家にもあります。
本州最南端

こんなのを着て潜っていたのですね。
このタイプは今でもありますね

本州最南端

潮岬タワーが白から青にぬりかえられていました。


本州最南端

本州最南端

EV用急速充電装置ありました。
はやくここに人が並ぶくらいに来てくれたらと思います。

KLEが動かない2015年06月01日 23時15分21秒

今日は少し早く帰れたので、早く寝れると思いましたけどそうは問屋が卸してくれませんでした。

駐輪場(今日はじめて入れてみたのです)からだそうと思って気を入れセルモーターのスイッチを押してもうんともすんともいいません。

おいおい何で?という感じで駐輪場からだし、広い駐車場に入れ、まずヒューズは大丈夫かとシートを外しヒューズボックスをあけ見ましたが、10本くらいあるヒューズは切れていませんでした。
これはバッテリかもしれないと仕方なくJAFを呼びました。

20分ほどで来てバッテリを先に見てもらったところ、

「あのバッテリが2.7Vしかありません}
「え?朝は元気にエンジンがかかったのだけど・・」
「ええ今のバイクのバッテリはジェル状の電解液ですので悪くなるときはいっきですね」

でといわれました。

あちやー、寿命かもしれません。

「14年乗ってまだ1回しか替えてないのだけどね」
「奇跡ですね」

というわけで明日注文することにします。

KLE400

KLE400

話の間止めればまたかからなくので、エンジンをかけっぱなしでいました。

乗って家に帰るとき、右のカバーは閉めるのにキーがいることに気が付きました。
もうJAFは帰っているし、エンジンはかかる保証はありません。

仕方なくカバーを付けずに帰りました。

帰りはエンジンは正常でした。

自宅に駐めてすぐにエンジンを切りすぐにかけ直しましたが、正常に動きました。


いよいよ本格的に暑くなってきました2015年06月02日 22時43分14秒

今日も日中はかなり暑かったですね。
カヌーを漕いだおかげで体重が少し減っていました。

結構食べて呑んだのですが減ったということは、やっぱり運動をしなければいけないということですね。

古座の岸辺の石はサツキかな?がきれいでした。

家の庭はサボテンが花咲かしています。
水瓶の中のジャコも活発に動き出し、えさをあげると一斉に食べにくるようになりました。

バイクのバッテリは力尽きましたが、自然はこれからがいい季節ですね。

バッテリは注文し、5日に届くようです。
暗電流など流れていないかチェックしないといけないです。

バイクのバッテリは結構高いので、小遣いに響きます。



サボテンの花は、オリンパスOM-D E-M5にマイクロニッコール55mmf2.8AIです。

そうそう年金機構がまたやってしまいましたね。

以前からIT系企業の友達と、最近は行政のネットワークが不安やね、と言い合っていました。

やっぱりねという感じです。

これでマイナンバー制度が導入されると、怖い気がします。
早く導入しなければいけないのに、こんなやわいネットワークでは不安になります。


ビヤガーデンの時期2015年06月03日 22時25分24秒

ビアガーデンの時期ですが、ここ数年ビアガーデンには行ったことがありません。

でも最近ビアガーデンがはやってきているとか。
あの独特の雰囲気がいいのでしょう。

世間では先日から道路交通法がかわって自転車に乗っているとき携帯電話をしていると切符を切られるとか。

御堂筋でたくさん切符を切られていたそうです。

規則を守らないものとそれを取り締まるものと。

オランダなどが見事に共存してスムーズに行き来していてびっくりしたのですが、日本のいたちごっこの感じが何となく成熟していないなと思います。

根拠のないとぎれとぎれのレーンや走れない自転車用走行レーンなどをきちんと整理して町中を統一したインフラにしなければだめです。

行政の無策を棚に上げて、駐輪している自転車の持ち去りや取り締まり。

何となく腑に落ちません。

もちろんきちんと交通ルールを守らなければいけませんが・・・

年金データが盗まれて2015年06月04日 23時06分33秒

年金データがウイルスで盗まれて年金番号を変えたりいろいろ大変です。

どこかおかしいですね。

年金の原資が裕福なときは不要な年金保養施設などをあちこちに建設し、そしてつぶしてしまいそのツケを国民に回しました。

そしてまた年金金額を下げようとしています。

こんどもウイルス事故のリカバリーも結構な費用がかかると思います。

情けなく思いながらもどうしてくれるんだと叫びたくなります。
国民の声を聞かずに、作業をしているともっと大変なことになりそうに思えます。

政治も大変な結果を招きそうな気配がします。

雨の休日2015年06月05日 21時51分25秒

普段遠距離通勤をしていると、いろんな作業が後回しになってしまってクリアするには休まないと出来ないですね。

というわけで今日はお休みをもらって医者へ行ったり、家の用事をいろいろしました。

用事の途中で車のガソリンを入れたのですが、そのとき後ろのタイヤの空気が何となく少ないのに気がつきました。

パンクかなと思ったのですがガソリンスタンドの空気入れで正規の空気圧にして家に帰りました。

そしてふと見ると、タイヤにビスが刺さっていました。
空気は一気に抜けないけれどこのビスのせいで空気が減っていたのです。

タイヤショップでパンク修理をしました。


そしてKLEのバッテリ交換。
バッテリが新しくなって少しエンジンの掛かりがよくなったような気がします。


これは古いバッテリ。7年間よく頑張ってくれました。


暗かったのでぶれてしまいました。
66475km走行。
次の交換は10万キロくらいかな。

串本訛り2015年06月06日 22時00分21秒

私は新宮生まれで串本育ちですが、未だに言葉では悩まされています。

和歌山には元来敬語というのがなくて、大阪で目上の人や他の会社のトップなどと会話をするときに苦労しています。

紀南お言葉で面白いところは、田辺、串本、勝浦、新宮とそれぞれ微妙な違いがありそれぞれが紀南の言葉は、こちらが本流と思っているところにおもしろさがあると思います。

高校の時新宮から赴任してきた先生のイントネーションをまねして校内放送をしたりしました。

串本の人は、これは私の独断ですが、串本にすんでいる人の流れは3つあり、アイヌ系の名残の土着系の人と、京都や大阪から紀南に住み着いた内地系と、そして南方からきた海来系の3つに区分されるのではないかと思っています。

すむところも微妙に違い、内地系と思われる人は成績もよくて商売も上手だったかなと思っています。

私の祖先は母方はわかっているのですが、父方はたぶん、海来系ではないかと思っています。

さて、言葉。

串本の言葉は、そんな祖先を引き継いで、真の古語(いわゆる大和言葉)かアイヌ族系の古語か、そして海来系の言葉がミックスされているのではないかと思っています。

串本の盆踊りの囃子詞に、

「ええやああーとせーよおいやな」
「ああこてばいなー」

などというのがあって、串本の人はたぶん何百年と使っているのにその意味が全くわからないのです。

私は、意外に東南アジアのどこかの国に、こうしたフレーズを使っているところがあるのではないかと思っています。
踊りのリズムも新宮や古座などの他の地域とは、どこか違っています。

潮岬
(1973年)
本州最南端
(2015年)

それだけでは特に言葉に苦労することはないのですが、海来系は多くを話さないし、陸来系はくどいくらい話が長いという、同級生でも特徴がありました。

例を挙げれば、
「そうですか」という言葉を、串本では、

VIPには、「そうでごんだりますか」

その次のひとには、「そうでごだりますか」

ここまでが京や大坂から来た陸来系のことばで、この次に海来系の、

「そうかいのんし」があり、これは会社で言えば少し目上の課長クラスに対して使います。

同輩には、「そうかい」

目下には、「そうか」

となります。
わたしはこの「そうかい」という言葉がいまだでてきて、誰にでも、「そうかい」といってしまいます。

「行っている」という言葉でも、海来系では、

「いきやる」となり、いまだにあわてると出るときがあります。

そんな複雑怪奇な串本弁で育ったので、いまだ日本語そのものもあやふやです。
だから英語などとてもとても。
一応英検はとってますが、会話など不可能に近いですね。

最近会社で中国語を習っている人がいるのですが、そのひとが勉強中に私が先に帰るときなど、「再見」と中国語で言うと。

「それなまっている」といわれます。(^^)

本州最南端

橋杭岩

写真は古い串本の潮岬と橋杭です。

40年前とほとんど変わっていません。

うれしいような悲しいような・・・。

久しぶりのA-1で紀の川2015年06月07日 18時30分38秒

朝から久しぶりにフジタカヌーのA-1を川に連れ出しました。

コックピット開口部がKG-1より少し狭いので乗り降りを心配していたのですが、何とかクリアしました。
2,3年前はそんな心配なくすっと乗り込めたのですが、最近乗っていないのと体が何となく硬くなっている感じがし、素早さに欠けるようになりました(^^)

紀の川カヌー フジタA-1

風もなく岩出橋で堰を締めているのでながれも緩やかで最高の条件でした。
モーター付きのゴムボートがバスを釣っていました。
釣れてなかったです。

紀の川カヌー フジタA-1

井坂橋の少し下流で上陸し、コーヒーをわかしました。
コーヒーがわく間ルアーのセットをしました。

紀の川カヌー フジタA-1

ささやかなコーヒータイムです。

紀の川カヌー フジタA-1

コーヒーをわかしている間、蛇がくねくねと川を渡っていました。
写真を撮ろうと近づくと、なんとなんと、蛇君水に体を沈め顔だけ出してこちらを伺っていました。
普通は一生懸命川を渡って逃げるのですが、こんなに潜ってしまうのははじめて見ました。こちらがじっとしていると、立ち泳ぎ?のまま少しずつ移動し泳ぎ去ってしまいました。

紀の川カヌー フジタA-1

紀の川カヌー フジタA-1

さてバス君は今日は川も笹濁りで釣れるかなと思いましたが、なかなかそうはいきませんでした。
あまり時間もなかったので一カ所で粘らず、あちこち動いたのも悪かったかな?

紀の川カヌー フジタA-1

ここは昔はよく釣れたところなのですが、国土交通省は何を血迷ったかここにあったワンドを埋め立ててしまったのです。
フナやコイ、そして雷魚の絶好の繁殖地だったのですが、それを見事につぶしてしまいました。

紀の川カヌー フジタA-1

桃山橋の下。いつもならこれだけの水はありませんが、堰を締めるとここまであがってきます。

紀の川カヌー フジタA-1

今日もう一つ試したかったのが、このA-1をルーフラックに差し上げ載せることが出来るかということでした。

これも何とかクリアしました。
まだまだ当分はこの船にも乗れそうです。

このA-1もう20年乗りますがしっかりしています。
回転性能、直進性、スピードともに申し分なく、名艇の一つだと思います。

串本という町2015年06月08日 22時43分48秒

私が串本で住んでいた家から10分ほどのところに潮崎本の宮という神社があります。ここは祭神として表筒男命・中筒男命・底筒男命の三神をまつっています。

ここで10月14日から盛大に祭りが行われ、私も青年会の会長をやり、獅子舞をやったりといろいろ思い出深いところです。
高校の時にはのろい釘を打つ人がいると言うことで、期末試験の勉強もそこそこに夜中に皆で見に行ったりしたところです。


歴史的には、神功皇后が大島のとなりの小さな島「通夜島」に船で来て停泊し、その折りに櫛と衣服をくれたそうです。以来この神社はこれを宝物として持っていたのですが、大阪の住吉神社からこれを借りに来て、それをとうとう戻してもらえなかったそうです。
そのことが明治維新の際、住吉大社はその宝物のおかげで官弊神社で潮崎本の宮は村社にされてしまったとか。

もしその宝物が手元にあれば、もっと栄えていたのではないかと残念に思います。

串本人はそんなお人好しなところが、大いにあるのです。
ただ住吉神社も、潮崎本の宮を立てて、境内に、潮崎本の宮神社と標柱のある神殿があるとか。

今度行った折りにはチェックしなければと思います。

通夜島という名の由来は、皇后軍が露営をした島という意味らしいです。
私が子供の頃にそういう言い伝えをよく聞かされましたが、よくわかりませんでした。
通夜島はムカデが多いので近寄るなとも言われました。

いずれにしろ紀南地方は新宮や勝浦は神武天皇が上陸したところだし、いろいろ面白い話があります。
ちなみに潮崎本の宮は応神天皇が創建したと古文書にあります。

正月の成人の日には、おまと(弓を射る)行事があり、10月には町を挙げての祭礼があります。
私の子供の頃は露店商が一杯出てそれはそれはにぎわったものです。(と昔話風に)


この2枚の白黒写真は、1975年の橋杭岩周辺の風景です。

橋杭 1975年


最近の車2015年06月09日 21時58分53秒

最近の車EVやらHV,PHV,燃料電池といろいろ出てきました。

それでもデザインが何となく画一的で面白くないですね。
抵抗を少しでも減らそうとすると同じような格好になるのでしょうね。

そんななかでダイハツやホンダの軽スポーツはユニークでいいですね。

私が乗った車ですが、スバル360ヤングSSといい、ソレックスツインキャブでした。
ガソリンはリッターあたり23kmほど走りました。

今見てもいいスタイルではないですか。

スバル360

次がホンダライフGS。これもツインキャブ仕様でした。
同じ時期の車ですが個性的ですね。
これも1リッターあたり23kmほど走ったと思います。

とにかく2台の車ともにエンジンはよく回り、そして経済的に走りました。

このころ私は、外国のようにドアミラーにしたくて陸自とだいぶ掛け合いましたが安全上死角が出来るので絶対ダメだといわれました。

それが今ではほとんどドアミラーになり、フェンダーミラーがオプションになりましたからね。

あのとき反対された理由は吹っ飛んでしまいました。

ハイマウントのストップランプも当時はダメで、当時やたら追突が多くなったのでリアのダッシュや窓からつり下げてよく付けていましたが、車検の時わざわざ外して車検を通しました。

今はすべての車にハイマウントのブレーキランプがあります。反対した責任者出てこいという思いです。

安全とわかっていても規格化されず、過去に実績がなく文書になっていなければ、それを押さえ込み議論すらしてもらえなかったですね。
この何ともいえない融通のきかなさが日本の車社会の発展を阻んでいます。

電気自動車の扱いにしても、自転車の扱いにしても、先進国とは思えないですね。

ホンダライフGS

とはいいつつ技術は着実に発達をして、最近ガソリンエンジンは排気量をダウンサイジングしてターボでトルクとパワーを稼ぐ手法を取り出しました。

これはいいことですね。

ガソリンエンジン車も、エンジンストップなどという姑息な方法でなく、エンジンをブンブン回しても燃費がいいという車にしてほしいと思います。

既にヨーロッパではやられていることですがやっと日本もそんな車が出だしてきた感じです。

私は以前にも書いたと思いますが、軽は800CCにするかカテゴリーそのものをなくしたらいいと思います。そうすれば燃費がもっとよくなると思います。
車検も軽四と普通車以上では車検場が違います。不合理です。

これを一つにしたら税金の節約になり、車検を受ける側もどの車も同じ場所で車検を受けることが出来便利になると思います。

お役人にとっては、天下り先が減るのでいやでしょうが。

とにかく車やバイクが好きなものにとって、CO2排出のジレンマを感じさせない車を作ってほしいですね。